Interview





株式会社イー・ファルコン 代表取締役

田中 伸明さん

関西学院大学経済学部 2005年3月卒業

就職活動等で活用される適性検査eF-1Gを提供する株式会社イー・ファルコンの代表取締役。就活サイト「OfferBox」を提供する株式会社i-plug創業メンバー・取締役(元CFO)。グロービス経営大学院大学経営研究科経営専攻修了(MBA)。一般社団法人人的資本経営推進協会理事。ISO30414リードコンサルタント/アセッサー。

  • 40代
  • 会社経営
  • 人材

20代で起業。「こんな就活を残していいのか」

田中伸明さんは、2012年4月、社会人向けの経営大学院で学んでいた仲間3人で起業した。社名は「株式会社i-plug(アイプラグ)」という。在学中にさまざまなビジネスプランコンテストに応募しては撃沈され、その悔しさをバネにまた新たな事業企画を一緒に考える、そんな仲間だった。

関西学院大学を卒業後、保険会社の代理店営業を経て企業の人材開発・組織開発を支援する会社に転職した田中さん。「経営の知識を深めたかったし、環境を変えないとやりきれないと思ったので」自社が運営する経営大学院で学ぶことにした(前列中央が田中さん)

ともに創業した2人とは、朝5時からの勉強会も厭わないような前向きさが共通していてウマが合い、気がつけば一緒にいたという。起業したのは人材サービス業である。

「ビジネスプランを立てる中で、SNSを使って学生を支援したいと考えていたのですが、情報を集めるうちに、学生が抱える就職活動の悩みが浮かび上がってきたんです。それは、企業の求める人材像に合わせて自分らしさを押し隠し、活動すればするほど自分をすり減らして、可能性を減退させてしまっているということ。実際に話を聞いたりするうちに、『こんな就活、自分の子どもたちの世代にまで残しちゃいけないよね』と3人とも思うようになりました」と、田中さんは人材サービスを手がけることになったきっかけを語る。

しかし、人材サービスは競合がひしめき合い、力のある大手企業も多い。周囲からは成功するはずがないと起業を反対されたという。

実際、起業して最初に手がけたのは新卒紹介と研修をセットで提供するいわゆる人材エージェント事業だったが、わずか20日で撤退を決めた。

「営業をしても手応えがありませんでした。私たちがやろうとしていたことが受け入れられていないことがひしひしと伝わり、『これはやばいぞ』と。早々に方向転換することにし、どんな価値を世の中に提供したいのか、原点に立ち戻りました」

そんな中から生まれたのが、「OfferBox」のアイデアである。学生は自己PRや在学時の経験などプロフィールを登録し、企業の担当者がそれを見てオファーする仕組み。学生は文章や写真、動画などで自分らしさを表現でき、企業はほしい学生に絞って効率的にアプローチできる。今はすっかり定着したスカウト型求人だが、当時はそれまでにない新サービスであった。受け入れられるのかどうかマーケティング調査は入念にと、学生200名、企業100社以上にインタビューやアンケートを実施したところ、結果は好評価で、多くの共感が得られた。

i-plug創業後、しばらくは苦しかった。何とか軌道に乗せようと創業メンバー3人で役割分担しながら奮闘を続けた(左が田中さん)

満を持してサービスを開始したが、蓋を開けてみると出足は鈍かった。「最初は学生がプロフィールを書いてくれないし、企業もオファーを送ってくれません。学生と企業どちらを先に増やすのか、どうしたらその気になってくれるのか試行錯誤の連続でした。とにかくコツコツと企業に営業をしているうちに徐々にユーザーは増えてきたのですが、事業資金が順調に回りはじめるまでには5年ぐらいかかりましたね。私たちはよいマッチングにこだわり、成功報酬型の料金体系にして採用が決定した時にお金をもらうようにしたからです。決定が出なければ売上が上がらず苦しい日々を送りました」と、軌道に乗るまでの苦労を語る。

風向きが変わってきたのは、就職活動のスケジュールが後ろ倒しに変更されて以降である。当時は経団連が採用選考に関する指針を出し、企業の多くはそのスケジュールに従っていたのだが、2013年、新卒採用に関する広報活動、選考活動開始をそれぞれ2カ月遅らせる指針を発表した。企業側には採用できるかどうかという不安感が高まり、早くから動きたいというニーズが生まれた。i-plugはそれに応え、早い時期から使えるプランを用意し、これについては代金先払いのシステムを採用。ここから資金繰りが徐々に改善していったという。

「任されたことに応える」挑戦のかたち

20代で起業という大きな挑戦に踏み切った田中さんだが、実は幼少期から意識的に「チャレンジしようとしてきた」という。

「小さい頃は、周囲の目を気にする子どもでした。自分にやりたいことがあっても、失敗した時に人がどう思うかを気にして一歩が踏み出せませんでした。ある時、知り合いのお母さんに手相を見てもらったことがあり、『可能性を秘めているのに発揮できていない。殻を打ち破ればもっと自分が広がるからがんばれ』みたいなことを言われたんです。今でもそのことを覚えているほど、妙にその言葉が響いて(笑)。それから毎年、やったことのないことにチャレンジするというテーマを自分に与えることにしたんです」

中学校では、野球部のキャプテンになり生徒会にも書記として入った。高校でも野球部のキャプテンになると決め、目標を達成した。関西学院大学への進学も、その延長線上だった。「関学の野球のレベルは、自分にはかなわないかもしれないが、ここで野球をしてみたい」という思いで学校の勉強もがんばり入学した。

田中さんは「10年ぐらいかけて、やりたいことへの挑戦を何度もしていく中で、自分らしさをうまく発揮できるようになりました。いいところも悪いところも自分として受け入れ、人にもさらけ出せるようになったと思います」と当時の自分を振り返る。

高校時代は、入学時から抱いていた野球部のキャプテンになるという目標をかなえ、部活を引っ張った

だが、大学に入学し、部活動に励んだ1年生の終わり、ひとつの試練にぶち当たる。野球部の1年生の中から互選でマネージャーを選ぶことになり、満場一致で選ばれてしまったのだ。マネージャーになれば、選手を辞めなければならない。その衝撃は大きく、半年ぐらいは引きずったという。

「選手じゃなくなるのは嫌でしたが、逃げ出して他の部に入るのは違うなと思いました。仲間に選んでもらったことには応えたくて、何とか自分の中で整理をつけようとしました」と田中さん。葛藤の中で、マネージャーを任されたことに一生懸命応えようとするうち、次第に「チームに強くなってもらうためにどうするか、いろいろ考えたりすることがおもしろくなってきた」という。

マネージャーは選手と監督とをつなぎ、部全体を運営する仕事である。毎日の練習内容の決定や調整を行い監督の指示を伝達するだけでなく、練習試合や遠征の一切も仕切らなければならない。リーグ戦までに最高のコンディションにもっていけるよう対戦カードやスケジュールを決めるところから関わり、100名以上にのぼる部員の移動・宿泊に伴う詳細なセッティングまで。考えただけでも大変そうだが、さらに田中さんは学外での活動にも積極的にチャレンジしたという。

「関学野球部のマネージャーには、代々、高校野球関係のアルバイトの声がかかるんです。春はセンバツの公式記録員を務め、夏は大阪府の甲子園の予選大会運営の手伝いをしました。こうした学外の活動がある時期は、学内の活動との両立でやることに追われる感じでしたね。大学に登校する時は、朝は学生会館が開くのを建物の前で待っていて、夜は警備員さんが『田中くん、もう閉めるよ』と部室まで迎えに来てくれて一緒に門を出る、という日々でした」

関学野球部に入部して1年後、マネージャーに選ばれ部活動の運営に関わった。選手を辞めたくないという葛藤もあったが、やがて自らやりがいを見つけた(中央が田中さん)

そんな部活動に捧げた大学時代、思い出に残っているのは「関関戦」の集客作戦である。試合の時に応援に来てもらえるチームにしようと、地域で野球をやっている小中学生に声をかけ、大学で練習会を企画したのである。結果的に当時の過去数年の中で最も多く集客でき、そうした取り組みが評価されて体育会功労賞を受賞した。

「チーム、組織を運営するおもしろさに気づけたのは、マネージャーになったからです。さらに、高校野球に関わるアルバイトでも責任ある仕事を任され、人を動かす仕組みづくりを経験できたことも刺激的で、視野が大きく広がった気がします」と、田中さんはマネージャー経験から得たものを総括してくれた。これもまた、関学野球部に入ったのと同じぐらいの熱量で挑んだ、田中さんのチャレンジだったのだろう。

「自分らしくあること」を支援して社会を変える

i-plug創業以来、田中さんは取締役として初期の法人営業や学生集客、マーケティング部門の立ち上げなどを担当した。会社が大きくなってきたら今度は組織を固める側に回り、人事、財務の最高責任者を歴任。2021年3月の上場もCFO(最高財務責任者)として取り仕切った。

起業から11年目を迎えた2022年9月には、i-plugの子会社、株式会社イー・ファルコンの代表取締役に就任した。2018年にi-plug がM&Aによって傘下に置いた、適性検査サービスを提供する会社である。2000年の創業時から創業メンバーとして同社を引っ張ってきた前代表が退任するにあたって、後継者として田中さんに白羽の矢が立ったのだ。

それまでi-plugの経営幹部として百戦錬磨の経験を積んだ田中さんだったが、就任後すぐ「代表と一取締役とは違う」と感じた。親会社に守られている部分はあるとはいえ、「この会社のなすことはすべて自分の責任になる」代表という職務の重みに身震いしたという。

イー・ファルコンは今、創業、i-plugへの合流に次ぐ、「第三の創業」ともいうべき大きな改革を進めており、そのかじ取りが田中さんの肩にかかっている。採用のみならず人材・組織マネジメントなど、より広い領域での事業成長をめざしているのである。

「日本では適性検査といいますと、採用時のふるい分けのために使われることが多いのですが、それは適性検査で取得できるパーソナリティデータの使い方のごく一部にすぎません。人を輝かせ組織の力を高める、まさに人的資本経営を実践する強力なツールになり得ます。『ポテンシャルディスカバリー』と私たちは呼んでいますが、もっとその人を深く理解し可能性を最大化するようなパーソナリティデータの利活用が当たり前になる世界を実現することを私たちはめざしています」と田中さんはビジョンを語る。

「自分らしくあること」が、田中さんが小さい頃から大切にしてきた価値観だ。聞いてみると、小学生の頃から「人にレッテルを貼るような態度は、人の可能性に蓋をしてしまう」と考え、そんな教育や社会のあり方に違和感や疑念を抱いていたという。学生と企業をマッチングさせる新しい就活スタイルも、ポテンシャルを見出すパーソナリティデータも、軸には「自分らしくあること」への希求があり、そこを起点に社会が変わる可能性を信じている。

代表取締役として会社のビジョンについて語る田中さん。事業を通じて社会を変えていくという気概に満ちている

「私たちが今やっていることは、未来を担う人たちに影響を与え、未来を変えることだと思います。一人ひとりの『ポテンシャルディスカバリー』が達成されることで組織が変わり、会社が成長します。多くの企業が成長することで日本社会に還元されるお金も増え、社会保障の充実につながるかもしれないし、教育も変わっていくかもしれません」

さらに、こうも付け加えた。「なんか事業の未来とか夢の話をすると、不思議にMastery for Serviceの精神に近づくんですよね。『社会のために』、『人々のために』というような視座で考えないと、経営はどこかで行き詰まると思うんです。Mastery for Serviceは、在学中に何度も歌った校歌『空の翼』の歌詞にも出てきますし、ますます馴染んでいったのでしょうね。本当に、ものすごく影響を受けているのは間違いありません」。田中さんのチャレンジは、これからも続いていくに違いない。