Interview





日産自動車株式会社 研究開発

長江 新平さん

関西学院大学文学部 2007年3月卒業
関西学院大学大学院文学研究科 博士課程前期課程 2009年3月修了

大学院修了後、日産自動車に入社。大学で学んだ心理学の知識を活かし、実験技術開発や信号処理技術開発、車両動性能設計などを担当。現在は自動車の知能化、電動化に関する技術開発に従事。2021年には「高速道路複数車線の運転支援システムの開発」で第71回自動車技術会賞技術開発賞を受賞。

  • 40代
  • 研究開発職
  • メーカー

人間に生まれもって備わっている特性への興味

長江新平さんの幼少期は、両親によればとても好奇心旺盛でマイペースだったという。周りの子どもを見て何かをやりたがることもなく、本人の記憶にはないものの、一日中アリを観察して過ごすこともあったそうだ。心理学に興味をもったきっかけは覚えていない。しかし心のメカニズムが知りたくなって、関西学院大学 文学部の総合心理科学科へと進学する。

「国公立大学の経済学部にも合格していたのですが、心理学の方が興味をそそられたので関学を選びました。最初の2年間は広く浅く心理学の勉強をしていましたが、心(=脳)のメカニズムを生理学的アプローチで解き明かす生理心理学に惹かれて、3年生から八木昭宏先生のゼミに所属。人間って人それぞれ違うように見えて、人類共通のメカニズムも持っている。そんな“生物としての人”を学ぶことに面白みを感じていたんです」

なかでも長江さんが関心を寄せたのは視覚的注意(人間が目にした情報を効率よく処理するための機能)だった。頭の中でどんな情報処理が行われているのか、実験などを通して明らかにしていく研究を進めるにつれ、「もっと心理学を社会に生かしたい」と考えるようにもなった。

「人間の注意機能はとても優秀です。たとえばビデオカメラで撮った映像も目にした景色も情報量は同じはずなんですけど、人間の脳ではほとんどの情報が削り落とされています。本当に必要な情報は何かを、頭が自動的に取捨選択することで、瞬時に高度な思考や行動ができるのです。もしその機能を何らかの機器に取り込めたら、人間と同じ処理ができるようになるかもしれない。そんな可能性を追い求めたくなりました」

学部卒業後は、関西学院大学大学院 文学研究科へと進んだ。その時点で、マスターを取れば就職しようと考えており、研究者になる気はなかったという。産学連携が盛んな八木ゼミでは、さまざまな共同研究が行われており、長江さんも輸送機器メーカーの研究サポートなどを手がけていた。

「共同研究を行うまでは、一つひとつ着実にエビデンスを積み重ねていくことが研究だと捉えていましたが、企業にとってのゴールはそこじゃない。もっと違うところに期待があり、ゴールに到達するなら必ずしも積み上げる必要はないという実態を垣間見て、最初はかなり戸惑ったことを覚えています」 

一方で、「心理学は人間を科学している学問なので、さまざまな産業に使えるはず」という思いも強まっていった。どんなプロダクトも、良いと思って買ってくれるのは人間だ。「使えるはずどころか、もっと使えないとおかしい」とさえ思っていたと振り返る。

常に二手先三手先まで考えておく

博士課程前期課程を修了した2009年、日産自動車株式会社に就職。当時、文系出身者をエンジニアとして採用するメーカーが少ないなか、比較的門戸が広かったのが、同じ研究室の卒業生たちが多く就職していた自動車業界だった。

「4~5社の説明会に行きましたが、専攻を機械・電気・材料に絞るなど、最初から文系に入口がない企業もありました。そんななか日産のブースでは、心理学というワードも出ていて、人間を科学して車を良くしていくことがいかに大事かということを大学生相手にプレゼンされていたんです。その人が、自分にとって後の上司になりました」

R&D(研究・開発)部門で採用され、配属されたのは計測技術部という部署だった。そのなかでも長江さんは、人間を計測するための実験技術を開発するグループに所属。生体反応に限らず、バイアスのかからない回答を得られる質問紙を考案するなど、人間のさまざまな反応を数字に置き換える手法を探っていた。

「自動車の動きというのは、基本的に力学で解くことができ、数式や数字で表せます。ですが、人間の反応はそういうわけにいきません。たとえば同じ音量や振動を同じ人に同じ時間、同じように与えたつもりでも、返ってくる結果は変わることが多い。背後に無数の要因が絡み合いつつ、その人だけの反応が得られるわけです。人間を測る術はたくさんあるが、その中から最も適切な手法は何か選択し、目的に合わせてモディファイする技術が求められました」

その後、自動車に対する理解を深めるため、3年間、運動性能の設計部署へ。単にデータを取るだけではなく、それを車に落とし込むためには、車の構造や技術も知らなければならない。ここで基礎知識を吸収する一方、新たな壁にぶつかったことが転機となった。

「会社では、事あるごとに報告レポートを上げなくてはならないんですが、複数の上司の確認があり、返ってくる言葉が一人ひとり違うんです。だけど全員、間違ったことは言ってなくて、大事にされている部分が違うだけ。この業務プロセスに最初はうまく対応できず、毎回いろんな言葉が返ってくることに疲れてしまい、一時は退職を考えたこともあります。ですが、そういった苦しい環境で揉まれているうちに、言われたことだけを鵜吞みにするのではなく、頭を使って裏側の真意を想像し、逆にこちらから『だったらこれではどうでしょう?』と代替案を提案することで双方うまく回ることに気づきました」

それからは、「こうすればこの人はうれしいだろうな、この人はこういうことを期待しているんだろうなと、時には相手自身が気づいていない課題や目標まで言語化し、道筋を示してあげます」という長江さん。業務の性質上、技術コンサルティング的な立ち回りをすることも多く、社内のエンジニアに困ったことがあれば、一緒になって何がゴールなのか考え、解決まで導くことも多い。

長江さんが属するR&D(研究・開発)部門は、新たな価値の創造を目的とした研究、将来的な商品化を見据えた先行開発、戦略に基づき量産化に向けた製品開発の業務が連関して成り立っている

「相手の考えを単に想像するだけでは、勘違いだということもあります。だけど、相手の境遇を理解し、その困りごとに共感できれば、あとは相手から聞いていない情報もある程度は自分で想像できるようになります。そうなれば常に二手三手先が読めるようになり、ゴールまでの最短ルートが見えるだけでなく、何かあったときその軌道修正も素早く行えます。相手の立場、視点で物事を見たり考えたりすることで役に立て、自分もそのことに喜びを感じるようになりました」

「車を良くする」という目標を動かさないこと

研究を進めるなかで、「今そこを気にしていたら前に進めない」と感じることも少なくないという。それよりも目標を達成すること、完成させることを重要視するようになっていった。

「完成させた新しい技術の安全性が十分に担保でき、人に良い効果を与えることが実験結果として立証されているなら、前に進むことを優先します。一般的に、研究者は緻密に研究を積み上げたエビデンスを通じてメカニズムを解くことを最優先にしますが、企業のアプローチは、モノを良くしてから『なぜ』に立ち戻るということも良しとします。最も大切なのは『車を良くする』という目標を動かさないこと。研究をしていると、どうしても研究でわかったこと、わからないことを重視してしまいがちですが、仕事を通して大きな目的・目標を意識することがとても重要だと考えられるようになりました」

研究面でも着々と成果を上げてきた長江さん。「高速道路複数車線の運転支援システムの開発」をテーマにしたプロジェクトでは、生体反応などの測定結果から人間への効果をデータで示す役割を担当し、2021年には第71回自動車技術会賞技術開発賞を受賞した。

「高速道路複数車線の運転支援システム」のイメージ図。同一車線内でハンズオフを実現し、さらにナビの経路誘導と連携することで、高速道路上において追い越しや分岐なども含めての走行をサポートする新しい運転支援技術であることが高く評価された

さらに、「e-POWER」に関する研究も注目を集めた。その功績が評価され、長江さんは2022年、2023年と2年連続で日産R&D(研究・開発)部門全体の中から毎年5~6名が選ばれる技術発表会に登壇し、全社員に向けて成果を発表した。

「『e-POWER』はガソリンエンジンでバッテリーを充電し、その電力でモーターを回して走る動力システムです。でも、バッテリーを充電するためにずっとエンジンを回転させていたら、CO2排出量が従来のエンジン車と変わらなくなってしまう上、エンジン音のうるさい車になってしまうので、ところどころストップしたり最小限の回転数で回すようにしたりと、細かな制御をしています。そこに人間の感覚を織り込んだ最適化計算を行ったことで、燃費を1.2%向上させることに成功したんです」

常に最も燃費効率のいい回転をさせるのが理想だが、車速が低いときはエンジン音が目立ちすぎてストレスを感じてしまう。しかし同じ車速、音量でも、それが加速操作中であれば気にならない。置かれている状況によって、許容範囲が変わっていくのだという。では、どのような状況であれば、どこまでエンジンを回していいのか。すでに集められていた多様なビッグデータを活用し、長江さんは答えを導きだした。

「走行中のドライバーにエンジン音がうるさいと感じたらボタンを押してもらうという実験データもあったので、それと加速度やエンジン回転数などのデータを合わせて機械学習させ、シミュレーションモデルをつくり、最適化計算を行いました。その結果、加速時に従来よりもエンジンの回転数を上げ、それによって耳に届く音量が上がったとしても、人間の感覚的な評価は変わらないなど、おもしろい結果が出てきました」

もともとこのデータは別のチームが別の目的で取った実験データだったが、自分なりに分析して提案した長江さん。「新たな活用法を見出せたのは、人への知見やこれまでの経験があったから。人間を科学したことで得られた成果です」とうれしそうに話してくれた。

「人間の感覚にも必ず何かしらのルールがあるはずですが、あまりにも複雑すぎて数式に落とし込めない」と長江さん。「実験結果を車の設計図に入れるためには何が必要なのか。ヒトと車をつなぎ合わせるデータを示すことが、私の強みだと捉えています」

「心理学を社会に役立てたい」という思い

その後、同様の研究をアメリカやイギリスで展開し、現在も「e-POWER」の業務を継続するとともに、計測した人間の特性を車に落とし込むグループのアシスタントマネージャーに就任。音や振動の領域に留まらず、顧客の走行したビッグデータを新しい取り組みにつなげる仕事を手がけている。

「車が良くなった実例をどんどん増やしていくことが今後の目標です。さらには自分を育ててくれた周囲への恩返しの意味も込めて、教育にも力を入れていきたい。自分で考え、自分で進み出して、自分で仕事を回せ、成果を残せる後輩が増えればうれしいです」

とはいえ仕事一辺倒の人生にはしたくないため、プライベートで遊びに行くのも大事にしているという長江さん。「バランスを取りつつ、できる限り社会に貢献していきたい」と笑顔を見せる。

「自分が相手だったらどうしてほしいか。相手の立場に立つという姿勢は、仕事を進めるうえで、とても助けになっています。これも元をたどれば“Mastery for Service”の精神です。自分自身、関学のスクールモットーを知らず知らずに身につけていたから、いま、多くの人に助けてもらいながら仕事ができていることに改めて気づけました。『心理学を社会に役立てたい』という思いも変わりません。これからも心理学のエッセンスを入れた成果を出していければ、社会貢献にも自分の喜びにもつなげていけると考えています」