Interview

Mastery for Service



Ealing Trailfinders Rugby Club(イングランド)所属 ラグビー選手

玉井 希絵さん

関西学院大学経済学部 2015年3月卒業

女子15人制ラグビー元日本代表。関西学院大学体育会ラグビー部に所属し、130 人以上の男子部員に女子選手1人の環境で練習に励む。大学卒業後、中学校英語教諭として働きながら女子ラグビーチーム「Mie Women's Rugby Football Club PEARLS(パールズ)」に入団。その後、民間企業に転職し、仕事に従事しながら競技活動に励む。日本最高峰の女子ラグビー7人制大会にて優勝。2019年今後のキャリアを見据え、株式会社パソナグループに入社。仕事と競技生活を両立する「ハイブリッドキャリア」を実践しながら、15人制日本代表に選出。2022 年開催の女子ラグビー国際大会に出場。2023年7月よりイングランドの「Ealing Trailfinders Rugby Club(イーリング・トレイルファインダーズ・ラグビークラブ)」に移籍。

  • 30代
  • アスリート
  • スポーツ

女子ラグビーとの出会いは突然に

玉井希絵さんが関西学院大学を進学先に定めたのは、「上ケ原キャンパスの中芝(中央芝生)を見て、『ここは異世界か!』と衝撃を受けた」中学時代のことだ。高校時代は、関学に目標を定めてコツコツと勉強した。

努力が実って入試を突破し、小学校から10年間続けたバスケットボールも部活引退を機に辞め、「ふらふらしていた」高校3年の夏ごろ、ラグビーに出会った。高校のラグビー部監督から誘われて、大阪・花園競技場で行われた日本ラグビーフットボール協会主催のトライアウトに参加することにしたのだ。2010年、リオデジャネイロオリンピック(2016年開催)で女子7人制ラグビーが正式種目に採用されたことで急速に普及し、協会は選手強化の取り組みの一環で、他競技から転向する選手を集めていた。

「バスケットボールはもうお腹いっぱいで、大学では続ける気持ちはありませんでした。といって、ラグビーはあの楕円形のボールに触ったこともなければ、観戦したこともないスポーツ。『とにかく行ってみようか、その日は予定もないし…』くらいの気持ちで参加しました」

全国から集まった約200人の中から20人ほどが合格し、玉井さんもその一人になった。バスケットボールの経験から、体力やハンドリングの良さなどが評価されたのだ。それからは月に1度、協会の合宿に参加することになったが、当初、なかなか積極的になれなかったという。身体をぶつけて相手を止めるラグビーは、相手との距離を保って攻撃を防ぐバスケットボールとスタイルが真逆で、戸惑いが大きかったからだ。

ボールに触ったこともなかったラグビーを始めた頃。当初は戸惑いの方が大きかった(後列、左から2人目が玉井さん)

それでも少しずつ面白みを感じるようになり、関学に入学すると、ダンスサークルと掛け持ちでラグビーサークル「上ヶ原ラグビークラブ」にも所属。並行して、協会の選手養成でも力をつけ、関西代表に選抜され合宿に参加するまでになった。

ラグビー精神を教えてくれた関学

関学での生活を楽しんでいた1年生の終わり、玉井さんに大きな転機がやってきた。協会の合宿で知り合ったラグビー関係者が「関学にいるのに、体育会ラグビーをやらないなんてもったいない」と言って、関学高等部のラグビー部監督につないでくれたのだ。

「高等部の監督さんもすぐ動いてくださったようで、次の日にはもう、大学ラグビー部の監督から電話があって『一度会いましょう』と言われました。あまりに急な展開で『ちょっと待って』というのが正直な気持ち。それまで、強豪で知られるあのラグビー部に入部できるなんて考えたこともなかったので余計、怖気づいたというか。ただ、それまでの1年間で、イメージしていた花のキャンパスライフはしっかり味わっていたし、もともと体育会クラブへの憧れもあったのでちょっとワクワクしたのも事実です」と、玉井さんはわずか二日のあいだに起きた当時の複雑な感情を説明してくれた。

監督の出した入部の条件は、「本気なら」ということだけだった。玉井さんが「日本代表になりたい」という思いを率直に話すと、監督は「よし。じゃあ、行きましょう」と、その足でグラウンドに玉井さんを連れて行ったという。「いきなり130人の部員の前に出されて、『はい、自己紹介』です。その光景は鮮明に覚えているんですけど、緊張しすぎて、そこからの記憶はぷっつり…」と笑う。

関学時代のラグビー経験について話す玉井さん。とても生き生きとした描写で、葛藤や喜びなど当時の心情が手に取るように伝わった

大勢の男子部員の中に1人女子部員として混じって練習する日々が始まった。普段の練習や朝練、ウエイトトレーニングも全部参加した。大規模なクラブなのでクラス別に6チーム程度あり、下位のチームやケガをした部員と一緒に練習をすることが多かった。

とはいえ、最初の3カ月ほどはまったく馴染めなかったという。

「自分から話しかけられないし、たぶん他の部員も扱い方がわからなかったんだろうなと思います。まるで私など存在していないように感じられ、正直辛かったです。特に練習が始まるまでの雑談タイムはその輪に入れない苦しさで、『さっさと始まってくれ』と念じていました。ある時、そんな愚痴をゼミの友人に話したんですね。そうしたら、とても冷静に『男子と仲良くしたくてクラブ入ったん?』と言われたんです。もう、ガンと頭を殴られた気分でした。そうだった、うまくなって代表になりたいから入ったんだ。そんな悩みなんてどうでもいいと思いました」

それからは、与えられた課題をとにかく一生懸命こなし、女子だからとか考えることもなく、練習にくらいついていった玉井さん。そのうち、先輩たちを中心に自主練に誘ってくれるようになり徐々に馴染むことができたという。「ラグビーにかける熱心な姿勢が、信頼をもらえる近道」だったことに気づき、それからはラグビーが今まで以上におもしろくなった。

玉井さんのラグビースタイルの原点は、関西学院大学ラグビー部での経験。チームのために自分に何ができるか、考え行動し続けた(後ろから2列目、右から3人目が玉井さん)

「ラグビーは、体格もタイプもさまざまな15人がそれぞれの弱みを強みでカバーし合うスポーツ。それぞれに活躍できる場所があるんです。関学では下位チームがトップチームに勝つために超本気で練習するし、誰もが関学ラグビー部が勝つために今自分がチームにできることを考えていました。私も、走ることはできていたので、『私に抜かれたらやばいで』と男子選手をプッシュしたりしていましたね。全員がチームのために戦いカバーし合う、全員が輝けるというラグビー文化を、関学というハイレベルな集団で最初に学んだことが、私のラグビースタイルの原点です」

関学で出会ったラグビーの精神とMastery for Serviceという言葉が、「今の自分の軸になっている」と玉井さん。「私の中のMastery for Serviceは、自分のことだけでなく人のこともケアしながら、その中で自分が成長するみたいなイメージで、ラグビーの精神もそれに非常によく似ていると思います。何かに悩んだり迷ったりした時にはいつも、『私は今、その軸に沿った考えや行動ができているのか』と自分に確認しているんです」と話してくれた。

今できるのは夢を追う姿を見せること

関学での練習と同時に、週末は大阪ラグビースクールレディースというプロ選手養成チームで練習。ラグビー漬けの毎日で、3年生の時には日本代表候補になるまでに実力を蓄えた。しかし、最後のギリギリで代表選抜には落ちてしまう。「一度、海外で楽しいラグビーを経験してみたら」という関学ラグビー部のニュージーランド人コーチの勧めで、4年生の5~7月の3カ月間ニュージーランドにラグビー留学をした。あまりに楽しい経験で、海外でラグビー選手になることが夢になったという。

ニュージーランドへのラグビー留学は「楽しすぎました。日本代表よりカンタベリー(ニュージーランド南島北西の地方)代表をめざそうと本気で思ったぐらい」

いつかニュージーランドに戻るつもりで、大学卒業後は、大阪のチームでラグビーを続けながら中学校講師として英語を教えることにした。その後、教員採用試験に受かって2年目からは正規の教諭になったが、そのタイミングで地元に女子ラグビーチーム「三重パールズ」ができた。選手としての拠点ができたことで、海外へ行く夢はいったんお預けにすることにした。

中学2年生の担任をしながら、三重パールズではセミプロとしてラグビーを思いきりやる生活。「24時間では足りないような毎日」を過ごすなかで、どちらかを選ばなければならないという気持ちが固まってきた。

「親はラグビーを選ぶことには反対でした。その時点では日本代表の肩書もないし、女子ラグビーはまだマイナースポーツでこれから花開くかわからない。そこに私が乗れるかもわからないんです。親だけでなくいろんな人に反対されました。

ただ、私がその時考えていたのは、今の私に中学生に教えるものがあるのか、ということでした。中学時代を含む思春期は、たとえば偏見を持たないとか、人の将来や生き方につながる大切な考え方の基盤をつくる時期。社会に出たこともない私に、そういう教育ができるのかと考えるようになっていました。というのも、教壇に立ってみると想像以上に子どもたちは真っ白で、教師が白と言えば物事は白になるみたいなところもあり、責任は重いなと。もし私が彼ら彼女らのものの見方、考え方に影響を与えることができるとすれば、知識を言葉で教えるより、ラグビーという夢を追う姿を見せることなのではないかと思いました」

セカンドキャリアへの問題意識

三重パールズでラグビー選手を続ける選択をした玉井さん。スポンサー企業に就職し、9時から2時まで勤務した後はラグビーに集中した。良い環境を与えてもらったおかげで、自分でも実感できるくらい身体が大きくなり、プレーも安定した。三重パールズでは日本最高峰の女子ラグビー7人制大会で優勝を経験し、2019年には念願の日本代表入りを果たした。

ラグビーでは順調に実力を伸ばす一方で、セカンドキャリアについて考え始めたという。

「合宿などで1カ月とか長期に仕事を休むこともあるアスリート社員とどのように向き合うか、企業にとっては難しいテーマだと思います。自分を含め周囲の女子アスリートの中に、仕事のキャリアを積んでいる人はほとんどいませんでした。これは真剣に考えないと、と思っていろいろ情報を集めていたところ、東京2020オフィシャルサポーターでもあったパソナグループが、アスリートの雇用支援を強化するという話を聞きました。一人の“企業人”としてキャリアアップをめざすことができる、また、現役アスリートとしてスポーツ関連の事業企画ができる。社会とつながってキャリアを積むことができる環境があるところに惹かれ、転職を決意しました」

三重に近い「パソナ・名駅」(パソナの名古屋支店)に、アスリート社員として入社。基本的に毎日練習に行き、合宿にも参加しつつ、9時から2時の就業時間の中では、営業や広報活動に携わった。さらに、パソナ・名駅にて開催する社会貢献活動のイベントを企画したり、名古屋の番組制作会社を回り、アスリート社員としての自分を取材してもらう持ち込み企画の営業も経験したという。

三重パールズに所属するフィジー出身の選手から「フィジーでは貧困率が高く文房具を買えない子供も多い」という声から、パソナ×三重パールズで社会貢献活動「文房具の寄付活動&地域の子供たちに向けたラグビー体験会」を実施した

「最初は営業に同行させてもらい、プレゼンのやり方を見せてもらいました。当時26、7歳でしたが、その時に初めて名刺交換のやり方を覚えました」と玉井さん。ラグビーと仕事、それぞれかけられる時間が半分になるので集中力が高まり、両方ともパフォーマンスが高まったという。

「それに、ラグビーでうまくいかなくても仕事で巻き返そうと思ったり、仕事場の同僚の皆さんがすごく応援してくれたり、支えができた感じでした。自分の居場所をラグビーだけに絞らなくてよくなったことが、自分を強くしたように思います」とも付け加えた。ラグビーでは、2022年10月、ニュージーランドで開かれたワールドカップ出場という目標をかなえた。

ずっと抱いてきた目標「ワールドカップ出場」をかなえた瞬間。ここから、また新たな目標が生まれた

世界のトップチームから「持って帰りたい」もの

2023年7月、玉井さんはイングランドの「Ealing Trailfinders Rugby Club」への移籍を決断した。いったん棚上げにした海外行きの夢を果たしたかったのもあるが、それ以上に大きなきっかけになったのが、ワールドカップで日本女子チームが手も足もでなかったことだったという。

「日本の女子ラグビーがもっと強くなるため、発展するために役立つことを学び、何か持って帰りたいと思ったんです。イングランドには世界最高峰のプレミアシップリーグがあり、代表チームは世界ランキング1位。めちゃめちゃ強いのに、ワールドカップでホテルが同じだったときに選手と話してみると、出産後17週で復帰した選手とか医者をしながら代表をしている選手がいました。ラグビーの夢をかなえながら、キャリアや人生の夢もかなえられる環境がある。身体が動く今なら、留学よりも選手としてその環境を自分で感じてみたいと思いました」

1年間の選手生活については、「正直、辛くて辛くて」と苦笑する。意思疎通がなかなか思うようにできないのは辛いし、身体が小さすぎてポジションも変わる。ここまでメンバーに入らないのはラグビー人生初である。日本から「玉井はイギリスに行ったけど、結局試合に出ていない」みたいな声が聞こえてくることもある。でも、後悔はない。ここで、自分が肌で感じていること全部が、次につながるはずだからだ。

「プレミアシップリーグでは、監督やヘッドコーチも女性です。チームメイトと話すと、みんな自分の志を持っていて、ハイレベルな選手なのにラグビーは人生のすべてではなくてキャリアの一部なんだなと感じます。スポーツ心理学に興味があって、来年から大学院に行く選手もいます。もう気持ちいいくらいのバランス感覚です。自分のやりたいことをやる以上に大切なことはない、その挑戦が強さやカッコよさであることを、彼女たちから教えてもらっています」

「ラグビーが私の人生を彩のあるものにしてくれた」と玉井さん。世界トップチームでの経験を活かして、女子ラグビーを、豊かな生き方につながる「憧れのスポーツ」にするのが今の夢だ

選手として日本との違いを体感したからこそ、日本の女子ラグビーもそういうチャンスのある場所に変えていきたいと、切実に感じることができた。玉井さんは、渡英直後、ロンドン最大のスタジアム、トゥイッケナムで女子ラグビーのイングランド×アイルランド戦を観戦した時の光景が忘れられないという。5万人の観客の熱狂、選手が入場すると巻き起こる大歓声の渦。日本では女子ラグビーを含む女子スポーツがまだまだ人気や認知度が低いのに比べ、ここでは「価値が十分に高く、しかも女性が強い。この光景を見てしまったら、諦められない」と思ったそうだ。もちろん、日本の女子ラグビーの試合で、同じような光景を見ることを、である。

「とにかく今を心から楽しみたい。トップチームで見たこと、知識や経験をどう日本に還元できるのかも考え続けていきたい」という玉井さん。彼女と日本の女子ラグビーの挑戦は、これからが本番のようだ。