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Mastery for Service

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Mastery for Service

リポート

2024年12月18日、関西学院大学の卒業生であり、作家として活躍される岸田奈美さん、第171回芥川賞を受賞された松永K三蔵さんをお招きし、ブランドサイト開設を記念したトークイベントを西宮上ケ原キャンパス中央講堂で開催しました。大学での日々、作家としての生き方、Mastery for Serviceがお二人の“今”にどのように関わっているのかなど、たっぷりと語り合っていただいたイベントの模様をお伝えします。


ゆかりの地、兵庫県西宮市で2人の偶然の出会い

――今回の対談は、SNSでのお二人の軽妙な掛け合いを広報部職員が目にしたのをきっかけに企画し、お二人に快諾していただいて実現しました。

岸田奈美さん(以下、敬称略) 私がよく行く喫茶店で、いつも何かを書いている男性を見かけていて、たぶん作家ではないかと思っていたんです。しばらくして、出演していたテレビの情報番組で、芥川賞選考会の中継映像の中に松永さんを見つけて、「あの人だ!」と。この衝撃的な出来事をSNSでポストしたところ、松永さんがコメントを返してくださったんですよね。

松永K三蔵さん(以下、敬称略) 普段からこの目立つ帽子とメガネを着けているわけではいないので、人に気づかれないんですけど。まさか奈美さんが同じ喫茶店にいると思わなかったし、同じ大学卒業という縁もあり、不思議な感じがしましたね。

――お二人が関西学院大学に進学されたきっかけは?

岸田 さかのぼると中学生ぐらいの頃、建築の仕事をしていた父に「おしゃれな建築だろう」と連れられて見に行ったのが関学でした。進学の大きなきっかけになったのは、母が病気の後遺症で歩けなくなった時に、「こんな障がいが残るくらいなら死んだ方がましだ」と泣いたこと。車いす生活の母が生きていてよかったと思える社会にしたいと進学先を調べていたら、関学に人間福祉学部 社会起業学科という新しい学科ができることを知りました。母のためになる福祉分野の学びと同時に、経営者であった父の起業家マインドも学べると考えて進学を決めました。

松永 私はずっと西宮で育っていながら、関学を訪れたことがなかったんです。浪人中、近くに大学があったなと思いながら前を通った時に、なんておしゃれで素敵なキャンパスなのだろうと魅力を感じ、受験しました。いくつかの学部を受けた中で、第一志望だった文学部だけが合格し、無事に入学できました。

在学生を含め、幅広い年代の200名以上の方が聴講した

――どのような学生生活でしたか。

岸田 入学してまもなく、貧困問題を研究する世界的な経済学者であるムハマド・ユヌス博士の講演会が学内で開催されました。そこで他大学から聴講に来ていた車いすユーザーの垣内俊哉さんと出会い、株式会社ミライロという会社に創業メンバーとしてジョインしました。バリアフリーのコンサルティングなどをする会社です。1年生の5月にはミライロに加入していたので、朝は大学で授業を受けて、昼休みは資料を作って、授業が終わったら飛び込み営業に行くという生活。大変だったのですが、なんとか4年間で単位を取りきって卒業できました。

松永 奈美さんと比べると普通の学生生活です。デザイン関連のサークルに入り、仲間と中芝(中央芝生)に集まったり。日本文学科という一番興味のある学科で学びましたが、振り返ると不真面目な学生でしたね。興味のある作家の作品しか読まなくて、授業中にも関係のない小説を読んだり自分の小説を書いているという学生でしたが、一応卒業させてもらえました。キャンパスの中ではとくに図書館が好きでしたね。充実した蔵書があって、よく図書館の地下1階で過ごしていました。

言葉にできないことを何とか表そうとするのが小説という芸術表現

――作家への道はどのように開けていったのでしょうか。

松永 小説との出会いは中学2年生の時。母からドストエフスキーの『罪と罰』を勧められて読み、自分がこういうものだと考えていた世界には、こんな断崖絶壁があるのかと衝撃を受けました。断崖絶壁というのは決してマイナスな意味ではなく、世界の深さ、豊かさを感じたということです。読み終わると、無謀にも自分の『罪と罰』を書きたいと思い、ノートに小説を書き始めました。明確に小説家になろうと思ったのは、高校3年で母が急病で亡くなった時です。私のペンネームはアルファベット入りのふざけた名前だと思われるでしょうが、三蔵というのは母が敬愛していた祖父の名前で、Kは家族の名前に一番多いイニシャルからつけました。松永も親族の苗字です。この名前で小説を書いていこうと決めました。

ペンネームが大きくデザインされた帽子を着用して登壇した松永さん。ペンネームには家族への思いが込められている

岸田 松永さんは家族のことを大事にされていて、思い出を話されたり、ペンネームの由来にもされていますけど、小説家、とくに純文学を書かれる方で、こんなに家族のことを人前で話されるのって珍しいですよね。

松永 それは奈美さんとも共通するところですね。純文学の書き手というのは大抵、家族との関係がトラウマになっていたり、良好な関係だったとしてもあまり言わない。私は家族の存在がとても大きいので、あえて出しているというより出ちゃうんです。

岸田 松永さんのインタビュー記事で、お母さまに関する質問に「ノーコメント」と返されていたのを読んだのですが、なぜそのような返答だったのでしょう。

松永 母のことが書く上でどう影響しているかという質問だったんです。それは言葉にはできないこと。小説で読んで感じてほしいと思っています。

岸田 私も一緒です。父が早くに亡くなっていて、ダウン症の弟と車いすの母がいるという家族があるからこそ、エッセイで家族について書かれているんですよねと言われます。そういうわけでもなくて、どういうことを書いているのかはエッセイで読んでほしいと思っています。小説を書くということに関して、私が松永さんを信用できる方だと感じたのは「肉体だけが感じた境地みたいな、言葉にできない感情、感覚を書いていく作業が小説なのだ」と書かれているエッセイを読んだ時です。なんて誠実な方なのだろうと思いました。

松永 小説とは逆説的な芸術表現だという言い方を私はしています。言葉にできないことを何とか言葉にして表そうとすること。どこまでも追いつかないけれども、その過程が小説であると。小説を読んで読者が心を動かされるのは、小説の先にある読者自身が共有している何か、言葉にできない思い出や記憶にリンクするからだと思うんですよね。

岸田 私は、犬の名前をタイトルにした、松永さんのデビュー作『カメオ』がとても好きなんです。犬が好きな人にとって「犬はかわいい」のはそうなのですが、そのかわいさを言葉で表すのはかなり難しいと私は思っています。『カメオ』のように、犬のどうしようもないところも含めて、言葉にならない犬への思いを積み重ねていくと、小説になるんですね。

伝えたいから読みやすい文章を。読みやすさは、思いやり

岸田 私の場合、小・中・高で読書感想文や作文を褒められたことは一切なく、小説を書いた経験もありません。7歳の時に友だちができなくて泣いていたら、父に「友だちはこの箱の中にいくらでもいる」とパソコンを渡されて、インターネットの掲示板にずっと入り浸っていました。文章を書き始めたのは、ミライロに入って10年目、疲れ果てて会社に行けなくなったのがきっかけ。休職中に弟と旅行に行ったりしていたら、とてもたくましく生きている弟の姿に気づいたんです。私とは真逆でこんなにも強い人間が家族にいると知り、傷ついた自分を励ますつもりで弟のことをインターネット上で書き始めました。ある体験記が話題になって約100万人が読んでくれて。そのままブログを書き続けていったら本になって、ドラマにもなりました。インターネットの中の人たちが私をおもしろがってくれて、世の中に出てきたという感じです。

軽妙なトークで聴衆を引き込む岸田さん。文章を書いているのは人に伝えたいからだと話す

松永 伝えようとして書いたものは、読んでいただける方に届かないと意味がないし、届けたいという気持ちが一番大切です。なのに、どうしても純文学や小説を書いていると、形式やレトリックといった技術的なことにとらわれてしまいがち。でも、奈美さんのエッセイや本を読むと、不純なものがないピュアな文章で、そこに100万人に読まれる魅力があるんですよ。これは、小説を書く人もぜひお手本にすべきことだと思っています。

岸田 書くことより伝えることの方が好きなので。一番と言ってもいいくらいうれしいのは、読みやすかったという感想。松永さんも読みやすいと言われませんか。

松永 意識はしています。物を書いている人には、こう書いたらよく見られるかなという誘惑が常にあるんですけど、読みにくかったり伝わりにくかったら意味がないんですよね。

岸田 今の時代に合っていない文体や言葉づかいの文章は読みづらく感じられます。時代に合っていないことが悪いわけではないけれど、忙しい人が多く、動画などもあふれている世の中で、本や文章を読むという選択をしてもらうのは大変なこと。読みやすさって、思いやりとか愛だと思っています。松永さんの作品からは、その思いやりを感じますね。

松永 私は「オモロイ純文運動」というのを一人でやっています。動画からゲーム、SNSまで楽しめるスマホになぜ皆が夢中になるのかというと、おもしろいからですよね。小説やエッセイなどの読み物も、今を生きる読者にアプローチしていかないと選んでもらえないという思いがあります。中身のおもしろさに関しては受け手それぞれの感じ方があるけれど、読みやすさは大事。

岸田 その思いを体現した作品が文壇で評価され、芥川賞を受賞したのがかっこいい。

松永 純文学も物語なので、開かれていなければいけない。「読んでもよくわからないけど、何かすごいって言われているからきっとすごいんでしょう」と読者に思われたらやがて滅んでしまいます。やっぱり小説なので読んで楽しんでもらって、そして何か人生について考えるきっかけを持ってもらうっていうところが純文学なんじゃないかと思っています。

2人に共通する、作品づくりへの思いとは

――作品を通して何を伝えていきたいですか。

岸田 身の回りのことを書いていると、一緒に過ごす時間が長いので家族の話が増えていくんですけど、家族愛をテーマにして書いたことは一度もないです。最近、書いている脚本や小説など短編のフィクションで選ぶテーマは、“アンサングヒーロー”です。誰からも見つかることがないし、ほめられることもないけれど、世の中でがんばってくれている人たちの物語です。そういう人たちの存在に気づいたのは、母が入院していた病院でのこと。患者さんからのクレームの手紙への返答が病院内に張り出されているのですが、病院事務の方がびっくりするような無茶なクレームに対してもとても丁寧に対応されているんです。病院関係者の仕事を守るためにクレームをせき止め、かつこの患者さんにも元気になってもらいたいという思いから、事務の方はただ愚痴を受け入れているんですね。この経験をもとに、「声」という小説を書きました。

弟がいるグループホームで働かれている介護関係者の方たちもそうだし、世の中にはほとんど誰にも知られていなくても、心を尽くしている人たちがたくさんいます。そのことに気づいた私は、この人たちのことを世の中に伝えていかないと、と思ったんです。この人たちがストレスで倒れてしまったら世の中は崩壊してしまうと思うから、私が面白おかしく書いて好きになってもらおう、と。だから今後のテーマは、アンサングヒーローを見つけて書いていくこと。自分のためですね。自分が平和に生きていきたいからです。

松永 奈美さんのアンサングヒーローについてのエッセイを読んだ時に、太宰治の『一つの約束』という短いエッセイを思い出しました。なんとか灯台に縋りついた遭難者が、助けを求めて叫ぼうとした時に、窓から見えた灯台守の一家団欒を壊すのをためらい、波に流されてしまうと言うエピソードが語られます。太宰は、何の記録にも残らない善意が世の中にはあり、そういう語られない物語を想像で書いてきたのが日本文学の歴史で、我々が受け継いできたものなんだと書いています。必死にがんばって生きている人たちに向けた素敵なエッセイなんですけど、奈美さんも他の人には見えないサインに気づく才能をお持ちだと思うので、ぜひ今後も小説を創作していってほしいなと個人的に強く思っています。

創作の原点は何かというとやはりフィクションなんですよね。フィクションというのは根拠がないんです。純文学って何なのかという問題がいつも議論になりますが、私自身は明確に、そのまま世界を書き、人間を書くというのが純文学だと思っています。世界は不条理です。その不条理の中でひとり抗っている人間の姿、その強さというものを私は書いていきたい。問うことであれば、報道やルポルタージュといったノンフィクションのアプローチの方が適しているかも知れません。フィクションであることの意味、創作であること、想像するということで、問いの先に何か光るものを見出すことができるのではないかと考えています。小説を書くこと、またそれが読まれること。書き手と読み手は、想像を媒介にしてつながります。想像することで現実を超えて、そこに共感が生まれるではないかと考えています。

対談後の質疑応答で、さまざまな質問に丁寧に答える2人

2人それぞれのMastery for Serviceを語る

――Mastery for Serviceについて、お二人の考えをお聞かせください。

松永 あなたにとってのMastery for Serviceは何ですかと聞かれた時に思うことは、例えば私がひとりでカフェに入った時、女性がたくさんいたとして本当はパフェを食べたいけれどまわりを気にして尻込みしてコーヒーを頼んでしまいそうになる。でもそこでやっぱりパフェを頼むことだと思うんですね(笑)。本当に求めることを自分の心に従ってできるかというのがMastery for Serviceだと考えています。社会実験でも例がありますが、雑踏の中で明らかに助けが必要な人が倒れている時、通行人が多いほど助ける人がほとんどいないんですね。助けたいという気持ちをみんな持っているけれど、目立つことにためらい、ためらった瞬間にいろいろ想像が広がって二の足を踏んでしまうんです。例えば、哲学者の西田幾多郎がいうところの純粋経験、指が鍵盤にふれることを意識しないピアニストのように、行為と思いが一体となるのが私の思うMastery for Serviceのあるべき姿じゃないかと。いろんなことを決断する中で、私たちは周りの目を気にしてしまいがちです。でも、自分が食べたいものを食べるのもそうだし、本当に自分が求めること、自分がやるべきこと、やりたいという気持ちがあれば、それに従うことをためらってはいけないというのが私にとってのMastery for Serviceです。

Mastery という言葉には、習熟、熟達、習得という意味がありますが、我々はMasterじゃないんですよ。達人じゃないから、少しずつ習得していく。私も人の目が気になるし、何度もやらなければならないことから逃げ出しました。今も逃げ出してしまうことはありますが、少しずつでもMasteryしていきたいという思いが自分の中にあり、それは生き方につながってくると思っています。

岸田 私が大学の時にMastery for Serviceをよく聞いたのはボランティアや福祉の授業ですが、困っている人を助ける福祉を提供する時には、想像力の練度が高くないと、その人が本当に助かる奉仕ってできないんですよ。例えば、母が車いすでカフェに行って注文すると、日本なら何も言わずにコーヒーをテーブルに持っていってくれるんです。優しさですよね。ところが、人それぞれの自由を尊重するニューヨークでは、何も言わなかったら助けてくれません。コーヒーを注文した車いすの母に、普通に手渡してきます。すると母は、「歩けていた時と同じようにコーヒーを自分で持って移動できた。うれしい」と泣いたんです。母が自分でコーヒーを持ってテーブルまで移動したいと思っていたなんて、その想像力は私にもありませんでした。学生の時を振り返って良かったと思うのは、いろんなボランティアの現場での経験や困っている当事者の方々の声を聞く機会を大学側が提供してくれたことですね。

最近も、パリのパラリンピックを見に行ったら、ロシアとの戦争で歩けなくなったウクライナの選手たちが出場されていました。でも、彼らはとても明るくて前向き。なぜかというと、もちろん戦争はつらいのだけれど、同じ時期に戦争で足を失った戦友がたくさんいるから、誇らしく前向きな気持ちがあり、足を失っても絶望していない。戦争が終わって時間が経ったら、また違う感情が出てくるとは思いますが。その時に私が気づいたのは、母は歩けなくなったから絶望していると思っていたけれど、人を本当に絶望させるのは孤独なんだと。みんな歩けているのに私だけが歩けなくて車いすでしか動けない、そういう気持ちが人を本当に孤独にさせるのだと思いました。

一方向のことしか知らないと、優しさとか正義の押し付けになってしまうので、私にとってのMastery は、自分の思い込みだけで動くんじゃなく、想像力で本当に困っている人の気持ちをつかみにいくこと。一つの大きな感情に引っ張られずに、自分の目や足で確かめるということをやらないといけないんじゃないかと思っています。


ずっと以前から親交が深かった間柄のように会話が弾む、お二人の姿が印象的だったトークイベント。ユーモアを交えながらお二人の出会いや学生時代の懐かしい話などを語られ、作家として作品づくりに心を尽くして取り組んでいることが伝わってくる言葉の数々に、聴講者は一様に引き込まれ、とても楽しく充足感に満ちた時間となりました。また、お二人の作家としての活動や生き方の中にMastery for Serviceが息づいていることもわかり、うれしく感じられました。そんなお二人が今後、どのような作品を生み出されていくのかが待ち遠しいです。

登壇者プロフィール

岸田 奈美さん

関西学院大学人間福祉学部卒業

兵庫県神戸市出身。大学在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入し、その後、作家として独立。著書に、『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』など。

松永K三蔵さん

関西学院大学文学部卒業

茨城県水戸市出身、兵庫県西宮市在住。2021年に小説「カメオ」で第64回群像新人文学賞優秀作を受賞し作家デビュー。2024年に小説「バリ山行」で、第171回芥川龍之介賞を受賞。