Interview





NPO法人メタノイア 代表理事

山田 拓路さん

関西学院中学部 2001年3月卒業
関西学院高等部 2004年3月卒業
関西学院大学法学部 2008年3月卒業

高等部3年の頃に洗礼を受け、大学ではキリスト教ベースの野宿者支援活動や子どもキャンプなどのボランティア活動に従事。卒業後は愛知の教会が運営するフィリピン人学校に勤める。その後、カナダ留学を経て上京し、2021年に移民や難民などの背景をもつ「外国ルーツの子ども」の支援を行うNPOを起業。日本語教師・保育士・行政書士。

  • 30代
  • NPO職員
  • 教育

自分の生き方の中心に据えたい教え

山田拓路さんがキリスト教と出会ったのは、関西学院中学部への進学がきっかけだった。礼拝の時間に対しては当初、学校生活の一部という認識だったが、高等部に進むと「生きるとは何か」を考えるようになり、その答えを聖書に求めるようになったという。

「深く読み込むうちに感動し、最初から最後まで何度も読み返すようになりました。福音書では、生まれてから死ぬまで自分がどう生きるべきか、イエスなりに語ってくるわけです。2000年以上も前、ふれたら穢れると避けられていた人々のもとを訪ねて接し、権力者には言葉で立ち向かっていく。そんなイエスの生き方に憧れ、自分もそうありたいと願うようになりました」

高等部の2年生になると、教会にも通いだす。イエスは今も天上ではなく路上にいる。そのような捉え方があると知ったとき、「自分の生き方の中心に据えたいもの」だと感じ、3年生の冬に洗礼を受けた。大学へと進み、1年生の夏には、クリスチャンで同年代の若者が「平和を考える」というテーマで全国から集う会合のために長崎へ。「命をかけて体験を語り継ぐ被爆者の人たちの平和への願いが心に刺さった」と振り返る。

「聖書にも『平和を実現する人々は幸いである』と書いてある。戦争や貧困など人々の苦しみの対極が平和だとしたら、その平和を実現することが我々に課せられたミッションではないだろうか。集まった仲間たちとも話し合い、ボランティア活動に力を注ごうという思いを強めました」

「教会やボランティア活動で出会った同世代の仲間とは、生き方への悩みや志などが近かったので、友人としても大切な存在でした」と山田さん

「誰かのためになりたい」。すでに中学部の卓球部でコーチのボランティアを始めていたが、大阪・釜ヶ崎での野宿者支援活動にも参加するようになる。世界の貧困を見ようと参加した、フィリピンへのスタディツアーでは、ストリートチルドレンの実態を目の当たりにし、心を痛める。「貧しい人たちとともにあるつもりだったのに、彼らと出会っても何もできない。自分は『抑圧する側』の立場にしかなれないのだと思い知らされました」

命を救えなかった現実を乗り越えて

大学時代の礼拝の時間は、中学部の頃とは違うものになっていた。さまざまな話を聴かせてくれ、自分の言葉にも耳を傾けてくれる先生たちがいる。自身の活動についても話すことで、自分の生き方に対しても、より深く向き合えるようになった。

しかし3年生の冬、再び大きな葛藤に苛まれる。野宿者支援では、毛布やカイロを渡しながら声掛けをする活動を行っていたが、ある日、山田さんが毛布をかけた方が翌日亡くなったことを知る。

「その人の命を救えなかった現実と、救おうと思っていた傲慢さに大きなショックを受けました。そもそも路上で寝起きしなきゃいけない状況を解決しなければならないのに、対処療法的な行為だけで自己満足している。『みんなと違ってすごくいいことをしている』と自分が思いたいために毛布をかけていたんだと相当落ち込みました」

釜ヶ崎で出会った神父による講話の時間。社会から虐げられ、排除された者とともに神は働くと語ってくれたという

葛藤の渦中だった3年生の終わり頃、2007年に大阪で世界陸上が行われるにあたり、野宿者が暮らす長居公園のテント村を排除すると発表された。追いやられる人々の保護は期間限定のものだ。山田さんは反対派のデモに参加し、行政代執行が行われる前日からは泊まり込みで抗議をした。翌朝、気がつくとマスコミのカメラに囲まれ、分岐点に立たされる。

「こんなことに屈してはならないと考える一方で、映されれば就職活動に影響が出るのではないかと迷いが生じたんです。自分は抑圧する側に逃げていくのか、それとも踏みとどまって、貧しさに苦しむ人たちの側に立ち続けるのか。結局、消極的ながらも後者を選び、その日のうちに就活を辞めることにしたんです」

フィリピンの子どもたちとの生活

その後、ほどなくしてスタディツアーを主導した牧師の方から、「給料は安いが、うちで働かないか」と声がかかる。「名古屋にある教会ベースのNPOで、オーバーステイの子どもたちが通うフィリピン人学校でした。自分にぴったりじゃないかと思い、お願いすることにしました」

事務職だったが、週に2回ぐらいは日本語や体育の授業も担当した。10~15人ほどの子どもたちと、昼食をともにし、始業前や放課後も一緒に過ごした。当時の出来事で強く覚えているのは、ある朝、一斉摘発を受けて、一部の子どもたちが会うこともないままフィリピンに強制送還されてしまったこと。「またもや無力さを痛感しました」と山田さんは回想する。

約4年間の勤務を経て、教会が岐阜県にフィリピン人のための保育施設を設立することととなり、山田さんは立ち上げの指揮をとることになる。保育施設では、約100人ものフィリピンの子どもたちが通い、日々、日本語が上達していく。卒園式で親御さんが涙を流し喜んでくれる姿を見ると、涙がこぼれた。その後、小学校で楽しく過ごしているといった報告を受けるのも、大きなやりがいだった。

岐阜県の保育施設では日々、子どもたちの成長を実感。強制送還された子どもとは今もSNSでつながっており、母国での幸せな様子を目にできているとのこと

しかし数年が経ち、教え子が亡くなるという悲劇に遭う。先天性の障害があり、一般的な保育園では受け入れてもらえない子どもだった。「その子の人生にとっては大事な場を提供できたかもしれませんが、学生時代と同じで、結局は救えなかった。もし僕が医師なら命を救えたかもしれない。自分の無力さに直面することがつらかったです」

強みを生かし、危険を排除しての開業

この先の人生、本気でNPO活動を続けていくのなら、情熱だけでは立ちゆかない。そう考え、NPOや教会の活動が盛んなカナダへの留学を決意。32歳のときに進んだのが、トロント大学のNPOリーダーシップコースだった。

「NPO活動は、自分の強みがあるもの、社会からのニーズがあるもの、かつ、お金が稼げるものでなければ続かない。この3点が交わることを探しなさいと言われ、今まで取り組んできた活動を立て直すことが、そこに結びつくのだと気づけました」

時を同じくして耳にした、マーク・ザッカーバーグの言葉も、山田さんの決意を強くする。「ハーバード大学の卒業式でのスピーチで、『自分の生きる目的を見つけるだけではまだ十分じゃない。我々の取り組むべき課題は、誰もが目的意識を持てる世界を創りあげることだ』と語っていたんです。僕であれば、外国ルーツの子どもたちが保育や教育を受けられる場を広げることで、それが叶えられるんじゃないか。働く人々が生き甲斐を得られる場を提供することが、子どもたちにより広く教育を届けることにもなり、結果として自分の生きがいにもなる。そこで今につながるピースがはまっていきました」

留学先のトロントで見かけた、路上に座るイエス像。姿は物乞いをする路上生活者だが、手のひらの聖痕でイエスだとわかる。カナダでは「神は天上ではなく路上にいる」という捉え方が浸透しているという

1年間のコースを修了し、2018年に帰国。まず始めたのは行政書士の資格取得に向けた勉強だった。大学時代は法学部に所属していたため、行政書士なら学んだことを生かせ、外国人の在留資格を取り扱うこともできる。今後進めようとしている活動に、安定した生活が送れる保証はない。その保険となる基盤を築くことが、何よりの目的だった。

「起業で成功できるかどうかは、正解にたどり着くまで挑戦と失敗を継続できるかどうかが分かれ目です。だから失敗してもまた起き上がれるように準備しておく。カナダで学んだことでした」

自分のものの見方を180度転換する

帰国後は東京に拠点を移し、約3年間、外国ルーツの子どもを支援するNPOで働きながら資格勉強に注力した。そして2021年、行政書士事務所の開業と外国ルーツの子どもたちへの日本語教育を主軸とするNPO法人の設立を同時に行った。

法人名に冠した「メタノイア」とは、「悔い改め」と訳されていることの多い聖書の言葉だが、「『生き方を見直す』『自分のものの見方を180度転換する』といった意味合いに近い」と山田さんは解釈する。
「これは法学部の宗教主事だった、栗林輝夫教授も語られていた考えです。イエスが出会いに行った人たちの側から社会を見直せ、というのがメタノイアだと思います。抑圧する側でしかあれない自分の見方で判断していては気づけないことを、移民難民の子どもたちから教えてもらう。そこは忘れるなよと肝に命じるためにも、団体名にしたんです」

現在、メタノイアでは、幼児から成人まで、移民だけでなくクルドやウクライナなど難民として日本にやってきた方たちも対象とした日本語教室を多拠点で展開している。さまざまな外国籍をもつ幼児の就学・就園準備を行う教室の運営や、子どもたちのもつ「母語・継承語」や、学習言語としての英語などの教育も行っている。スタッフは、ボランティアも含め70人ほど。対象とする子どもたちは、200人以上となった。

メタノイアでともに働く仲間たち。NPO法人メタノイアでは、在留資格などに関する行政相談や、外国人児童生徒の教育・生活相談なども実施。文部科学省より委託を受けて、外国人児童や生徒に対する日本語教師の初任研修も担当している

人の幸せに貢献できることが自分の幸せ

日本語教育が届けばいいだけではない。在留資格がない子どもたちは、「日本から出て行け」とヘイトスピーチを受けることもある。そうでなくても、「日本語のできない子どもはお断り」といった間接的な差別により、結果的に教育機会を失うことも少なくない。そんな構造的な差別をゼロにすることが生涯をかけてやりたいことだと、山田さんは力を込める。

「教育機関をつくることもそうですし、法律も変える必要があるかもしれない。外国ルーツの子どもたちの中には、電車や自転車に乗れない子も多いので、徒歩圏内に日本語教室があることも重要です。プラットフォームとなる拠点にノウハウやデータを蓄積させ、それらを各エリアの日本語教室に提供することで、活動を全国に広げていきたいです」

毎日の礼拝で、先生たちが代わる代わるメッセージをくれた学生時代は、「自分の生き方を考えるうえで、とても役に立ったし、大事な時代だった」と山田さん。

「人の幸せに貢献できることが自分の幸せである。それに気づけたこと、それを見つけられたことも、幸せだなと感じています。お金はないですけど、人生の豊かさみたいなのは先にもらえたなと。自分の手がけていることが、誰かのためになっている…そう実感しながら生きていけたらと願っています」

Release Date : 2024/06/28
※掲載内容は取材当時のものとなります