いろんな人を巻き込んで
追いかけ続ける目標
「Empowerment of all people」
神戸アジアン食堂バルSALA 店長
奥 尚子さん
関西学院大学人間福祉学部 2012年3月卒業
神戸市生まれ。2012年、関西学院大学人間福祉学部社会起業学科卒業。大手出版社で飲食店への企画営業や広報・店舗プロデュースなどを担当。2016年、神戸・元町に「神戸アジアン食堂バル SALA」をオープン。2023年、社会課題の解決に挑戦する女性リーダーをたたえる第7回チャンピオン・オブ・チェンジ日本大賞を受賞。
- 30代
- 会社経営
- 飲食サービス
もやもやを解決する現場での学び
「社会問題」という言葉を私たちは当たり前のように使うが、では誰がそれを社会問題だと決めたのだろうか。「ニュースで『社会問題になっています』と言っていたから、それが常識になるということもあるかも」と奥尚子さんは思ったという。関西学院大学人間福祉学部社会起業学科に入学し、社会問題について学び始めた頃である。
いろんな問題があることはわかったが、何が問題になっているのか、現場に行って状況を見たわけではないし当事者の話を聞いたわけでもない。とにかくこのもやもやを解決するためには自分で行って体験してみるしかないと大学に相談すると、行きたい場所への足掛かりを提供してくれた。こうして奥さんは、正課のフィールドワーク以外にもいろいろな場所に出かけるようになった。
たとえば、『ビッグイシュー』の販売を生計の足しにしているホームレスと一緒に販売を体験した。『ビッグイシュー』は、ホームレスや生活に困った人に販売を委託し販売価格の一部を報酬として還元することで社会復帰を支援する目的で発行されているイギリス発祥の雑誌で、日本版は2003年に創刊されている。奥さんは梅田の街角で、「この1冊が売れることが、ホームレスの自立につながります」と叫んだ。
「その人は、自分で売ってお金を得ることがどれだけ尊厳につながるか、実感を込めて話してくれました。でもその日売れたのは2、3冊で、社会は何も見てないし、聞いていませんでした。これは何なんだろうと思いました」
価値がある取り組みだからといって、社会に受け入れられるものではないという現実を奥さんは身をもって知った。一方で、ホームレスの暮らしぶりも体験した。釜ヶ崎では床に寝てもみたが、そこにはつながりの温かさを感じるコミュニティもあって「なんか悪くない感じ」もしたという。
奥さんは、社会問題という言葉から与えられるイメージをいったん白紙にし「その場に身を置いて感じるという経験がとてもよかった」と話す。座学からだけでは得られない豊かな学び。その中で、日本社会を客観的に見つめる視点はもちろん、自分とは違うものを受容する度量や、当事者の感じ方や考え方に対する鋭敏さのようなものを身につけていったに違いない。
苦しんでいる人のために何ができるか
こうした刺激的な学びの日々の中で奥さんは、アジア出身の女性のコミュニティと触れ合う機会を得た。外国人の医療や生活の支援を行っているNGOに相談に来ていた女性たちで、結婚を機に来日したが日本語での読み書きができず、話すことも苦手なため、孤独感を深めていた。家庭があり子どもを育てる「お母さん」たちでもあるが、表示やアナウンスがわからないため電車やバスにも乗れない。友達もなく家に閉じこもるうちに自信を失い、生きづらさを感じるようになった。
奥さんには、彼女たちの悩みが深く刺さった。
「ある人は15年以上、近くのスーパーまでの10分ぐらいの距離を往復する以外、外出したことがないと言うんです。自分でやりたいことができない人生なんて辛すぎると、自分事に感じたんです。彼女たちを生きづらくさせている日本の社会が、たまらなく嫌でした」
社会との接点が何もないために自分の存在価値を見失いかけている女性たち。そういう状況に追い込まれるには個人的な事情もあり、当事者にとっては深刻でも、ある意味ニッチでメディアが取り上げにくい問題ともいえる。「彼女たちが何か発信しない限り、社会は気づかないようなことです。だからこそ、そのままにしておきたくありませんでした」
彼女たちがやりたいことの手助けをしたり、彼女たち自身が誰かの役に立つことで、生き生きしてもらえるのではと考えたが、その糸口はなかなかつかめなかった。「何か得意なことはある?」と聞いても「何もできない」という答えが返ってくるばかり。それでも、家に通ったり一緒に公園に行ったりとコミュニケーションを続けるうち、徐々に打ち解けて話をしたり母国の料理をふるまってくれるようになったという。その料理が、歯車を回し始めた。
「それはハーブが効いたスパイシーで、今まで食べたことのないおいしいご飯でした。お母さんたちにとってはごく当たり前の料理だったようですが、私には五感を刺激されるスペシャルな料理だったんです。『これで、何かできる』って思いました」
奥さんが発起人になって30人ほどの学生が集まり、関西学院の宗教センターとのコラボで彼女たちがつくる母国料理の屋台を出すイベントを企画した。200人のお客さんが来てくれたのに30食しか提供できないという問題もあったが、大切な目的は達成できた。
「自分の作ったものでお金をもらい、目の前でおいしいと言われるという経験で、お母さんたちが目に見えて元気になったんです。学生たちも自分たちのできる精いっぱいの力を合わせました。上から誰かが引き上げるのではなくて、みんなでお互いに補い合いながら問題を解決していける、こういうのが住みたい社会の形だと感じました」
社会的価値を発信するために事業価値を高める
このとき、現在まで一貫しているコンセプト「Empowerment of all people(全ての人々がエンパワーメントされる世界を作りたい)」が生まれた。「国籍や性別などに左右されず、誰もが自分の持っている力を発揮できる」世界をつくるために、まずはお母さんたちが自信を持って生きていくために働く場を提供し、そのコンセプトを社会に発信しようという目標ができた。
奥さんたちは学生団体を立ち上げてお母さんたちとイベント出店を重ね、休みのカフェを借りて週に1回お店を出すようにもなった。卒業後はそのまま起業するつもりだったが直前に考え直し、まずは飲食店経営のノウハウを学ぼうと、飲食店の集客支援や店舗プロデュースを行う企業に入社。3年半企画営業を担当する中で蓄積した知識と経験を投入して、2016年、神戸・元町に「神戸アジアン食堂バル SALA」をオープンした。アジア出身のお母さんたちが日替わりでシェフを務め、本格的なアジア料理を楽しむことができる店である。
当初3年ほどは軌道に乗らず、ようやくめどが立ってきたころにコロナ禍による大打撃を被った。いろんな人の支えがなければここまで続けてこられなかったと奥さんは言う。クラウドファンディングを募ったときには、3000円、5000円という支援がたくさん集まり何百万という額になった。ホームページ制作や通信販売の仕組みづくりを無償で手伝ってくれる「SALA応援団」の人たちも現れた。コロナ禍ではアルバイトの関学生がSNSによる発信をサポートしてくれ、対面に代わるコミュニケーションツールの重要性に気づかせてくれた。SALAのコンセプトに共感し、支援の手を差し伸べる人はたくさんいたのである。
お母さんたちは電車通勤をし、友達をつくるようになった。「店を持ちたい」など夢を話すスタッフも増えてきた。変わっていく彼女たちを見て励まされる日々だ。
「それに、社会的に価値があると認めていただいたこともうれしいです。だからこそ活動を継続させてより多くの人を元気にするために、ビジネスとして成立させたい」と奥さんは力をこめる。事業としての価値を高める試みに積極的に挑戦中で、新メニューの開発のためタイの郷土料理を学びに行き、一方ではテイクアウト専門店をつくる計画も進めている。初めての正社員を採用する予定もあるという。
ほっと息をつきいろんな人が交流する場
社会に役立つ事業を創造し、今さらに次のステップに進もうとしている奥さんの原動力は何だろう。
「自分が楽しいことで人も楽しくなるとき、一番幸せを実感します。そのために大事にしているのが、大学時代に出会った『脱・身の丈』という言葉です」と話す。関西学院の「Mastery for Service」にも近いニュアンスを感じているという。
「自分はこれができると決めて、自分だけでやろうとしても限られたことしかできない。それってSALAのような事業だと切実な問題で、人が幸せになるまでものすごく時間がかかってしまうことになります。だから自分にできないことは、誰かできる人の手を借りてきました。『こうしたい』という強い思いを発信すると誰かを巻き込むことができ、それによって強くなれるし、他の人が幸せになる可能性が高まります。そういう努力のすべてが『Mastery for Service』なのかなと思います」
SALAには現在、タイ、インドネシア、台湾、モルドバ出身の7人のスタッフが働いている。もちろん他にも働きたい人はたくさんおり、その気持ちにもっと応えるためにSALAのような場を増やしたいと考えている。SALAとはタイ語で「休憩所」、タガログ語で「リビングルーム」を意味する言葉。みんなが集まってほっと息をつく場であってほしいという願いが、店名に込められている。コンセプトを発信し続け、興味や共感を抱くさまざまな人が交流する場にもなってきた。それが刺激になって飲食店に限らずエンパワーメントできる事業が誰かの手によって生み出され、コンセプトが広がっていく未来にも期待している。身の丈を決めない奥さんの目は、はるか遠いところを見つめている。
Release Date : 2024/04/01
※掲載内容は取材当時のものとなります
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