Interview

Pay it Forward



ヒトトバデザイン株式会社 代表取締役

井上 貴文さん

関西学院中学部 2006年3月卒業
関西学院高等部 2009年3月卒業

アーバニスト。デザイン、金融、政策、経営などを分野横断し、「人」や「場」、そしてその集積である都市やまちが抱える問題解決に取り組む。大学を卒業後、メリルリンチ日本証券投資銀行部門にて企業の資金調達、M&A等のアドバイザリー業務に従事。2016年にハーバード大学デザイン大学院(都市計画学科)を経て米国現地の都市デザイン事務所に勤務し、米国大学のキャンパス計画などに従事。日本に帰国しU Share株式会社を共同創業、国際学生寮ブランドU Shareの事業組成・開発を担当した後、2023年9月に同取締役退任。同年12月に再独立し、現職。米国認定都市計画士(AICP)。宅地建物取引士。

  • 30代
  • コンサルタント職
  • まちづくり

自分も満月になれるよう努力を重ねたい

共働きの両親のもと、兵庫県伊丹市で生まれ育った井上貴文さん。よく祖母に連れられて出かけていたが、すぐにはぐれてしまい迷子のアナウンスがかかるヤンチャな子どもだった。父親は名古屋へ新幹線通勤をして忙しかったものの、週末になると虫採りや魚釣りに連れて行ってくれた。母親は、自分の好きだったフランス人ミュージシャンのコンサートに自分を連れていくなど、アートや言語への眼差しを育んでくれた。

「生き物や周りの環境を見るのが好きだったんですよね。今思えば、自然や都市に対する眼差し、人や場の持つストーリーへの興味を育んでくれた原体験だったように思います。親から勉強しろと言われたことは一度もなく、自由に育ててもらいました」

通っていた小学校は、市内で最も大きな公立校。4年生になったときに私立中学校を受験するという選択肢もあると両親に教えられ、「なんだかおもしろそう」と合同説明会に参加したところ、「関西学院中学部の先生方のお話に、震えるものがあった」と振り返る。

「校章の三日月を指しながら、『私たちは三日月のように不完全だけど、満月になるよう努力を重ねることが大切』『月が太陽の光を受けて夜を照らすように、私たちも恩恵を受けて世の中を明るくしていきたい』といった話を聴いて、この人たちかっこいいなと。小学生ながらに『この学校に行けば、コツコツと人生を積み重ねられるかもしれない』と思ったんですよね」

“Be Good, Be Honest, Be Brave”

その後、中学部に入学した井上さんは、新入生オリエンテーションキャンプの伝統プログラム、泥の中で行うラグビー形式のゲーム「メチャビー」で、仲間のために果敢に挑むことのやりがいを体感。その際に出会い、以降も3学年合同の行事のときにはいつも面倒を見てくれた先輩が、井上さんにとって憧れの存在となる。

「その先輩は、ラグビー部で近畿選抜にも選ばれるほど優秀で、学業も常に2~3位。しかもそれが遠方から通学されながらだというのも含め、すごい人だと尊敬していました。毎週の礼拝の中で聴いていた“Be Good, Be Honest, Be Brave(善良であれ、正直であれ、勇敢であれ)”を体現されているような、まさに “KGボーイ”のロールモデル。彼から誘われたこともあり、彼の背中を追うように、ラグビー部に入部しました」

当時、井上さんは「中学部の受験で、もともと合格を確実視されていた最初の入試で不合格になる……という人生初の挫折体験」をしたこともあり、悔しさも原動力だったという。

礼拝で聴いた聖書の言葉、「競技場で走る者は、皆走りはするが、賞を得る者は一人だけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい」を胸に、努力を重ね、1年生では学年2位、2年生以降は1位の成績をキープするようになる。一方で、“One for All, All for One”を旨とするラグビーにおけるチームプレーのおもしろさにも、どんどんのめり込んでいった。

中学部3年時にラグビー部で出場した近畿大会での1枚。1列目左端が井上さん

「知らないことを知っていく、できないことができるようになっていくのが、シンプルに楽しかったんですよね。そういうことに喜びを覚えやすいタイプだったのは、幼少期の原体験が多分に影響していると思います。ラグビー部では、関西学院大学のラグビー部員がコーチとして面倒を見てくれたんですが、雨の日も一緒にずぶ濡れ、泥だらけになって指導してくださるから、こちらのやる気も高まりました。先生方も7限目の『かけ足』を一緒に走るなど常に親身になってくださるし、驚くほど面倒見がいい。家族のような安心感に支えられ、学業にも部活動にも思う存分、打ち込めました」

人生は「選んだ道をどう生きるか」

そのまま進んだ関西学院高等部では、中学部とはまた違った校風で、「一気にステップアップできた」と思い出す。

「中学部は規律や人格を重んじる教育でしたが、高等部のテーマは自由と自治。服装も髪型も、髪色すら自由だけど、自分たちで物事を考え自分たちで決めることが求められる。ルールを守ることがベースだった環境から飛び出して、大事なものを守りながら自分たちでも何か新しいものを築いていくという価値観を育んでもらえました」

実りの多い学生生活だったが、中学時代から何度も繰り返していた右脚の骨折がたたり、高校2年でラグビー部を辞める決断をする。

「中学時代、骨折が完治しないまま県大会に出場して優勝するまではもったんですが、案の定、近畿大会初戦でもう一回折れるといったようなことを繰り返していて……。高等部入学後も、中学部から苦楽をともにしてきた仲間と花園をめざしたいと、病院通いしながら続けてはいたのですが、自分の思うようなパフォーマンスができなくなってしまいました。顧問や担任の先生にも相談した結果、『選ぶことは捨てることだ』という言葉をもらったんです」

部活動に注いでいた熱量の矛先を、自治組織である学友会(高等部の生徒会)へと移す。興味のあった自治活動に力を注ごうと、学友会長を務めることにもなる。

「ラグビー部を辞めた引け目がなかったわけではありません。退部する判断を一つ上の日本代表にも選ばれていたキャプテンに伝えたとき、こう言われました。『人生は何を選ぶかじゃなく、選んだ道をどう生きるかだ。お互いがんばろうな』。この言葉には、本当に救われましたし、今から新たに歩む道をまっとうに生きるという強い思いを抱かせてくれました。その先輩は現在、関西学院大学ラグビー部の監督をされています。振り返ってみても、中学・高校と振れ幅の大きい6年間を過ごさせていただいたと感じています」

高等部の卒業式で、前学友会長、卒業生代表として答辞を述べる井上さん

「自然と文明の共生」が自分のテーマに

卒業後は、慶應義塾大学の総合政策学部へ。中学部から目標としていた先輩が、井上さんと同じように怪我によりラグビー部を辞めて学友会で活躍し、同学部へ進学した影響も大きかったという。

「ラグビーでは出しきれなかった分、努力を重ねて合格されたと伺い、追いかけてみたいなと。もちろん決め手は学びへの興味です。当時、政治に興味はあったものの目標とする夢があるわけでもなかったから、幅広く学べるカリキュラムのなかで、少しずつ取捨選択していきたいと考えました」

通い始めると、さまざまな背景をもつ人たちと出会えるおもしろさがあった。帰国子女や留学生も多く、「自分はまだまだ世界を知らないんだ」という気づきがあったという。

「それで海外に興味がわき、3年生の秋から4年生の春までスコットランドのエディンバラ大学に留学しました。イギリス人以外が学生の半数以上を占める環境で、多様なバックグラウンドの人たちとふれあえました。

どこか未練のあった、でも大好きなラグビーの本場でラグビーをしたいと、ラグビー部に入部。ただ、百何十名の部員の中でアジア人は私ともう一人だけ。当初は英語でのコミュニケーションも苦労しましたし、なかなか受け入れてもらえないような時期が半年ほど続いたんですが、ある試合でトライを2つ取ったときにみんなが駆け寄ってきてくれ、ようやく打ち解けられたんです。何かで貢献できればゼロからでも信頼は得られるんだと実感するとともに、マイノリティに対する寛容性は常に持っておきたいと思うようになりました」

エディンバラ大学ラグビー部のソーシャルイベント。メンバー間の絆を深めるため、毎週水曜に行われていた

エディンバラはスコットランドの首都で、メインストリートを挟んで新市街と旧市街が分けられている。エディンバラ城を中心とする歴史的建物が多く、「中世の景観を保った旧市街と、旧市街の急激な人口増加に対応するために18世紀頃に計画的に整備された新市街のコントラストがとても美しいまちでした」と井上さん。都市計画、都市デザインという分野に興味を持ち始めたのも、留学がきっかけだった。

「フランスやイタリアなどにも旅行をしていたんですけど、本当にまちが綺麗なんですよね。計画的につくられた景観の美しさに惹かれ、留学から帰ってきてから、都市計画やランドスケープデザインなど建築・都市系の授業をとり、都市やまちについての勉強を始めました。学ぶなかで自分にとってのテーマの一つが自然と文明の共生なのだとわかり、その担い手になりたいと考えるようになりました」

エディンバラの旧市街。新市街と併せて都市計画の傑作とも呼ばれ、世界遺産に登録されている

意図された偶発を引き起こすための計画

2013年、大学を卒業し、メリルリンチ日本証券(現・BofA証券)に就職すると、投資銀行部門で企業の資金調達やM&Aのアドバイザリー業務に携わった。

「自然と文明の共生をテーマにした、あたたかい、手触り感のあるまちづくり、場づくりを手がけたい。でも当面は世の中のOSは資本主義で、何をするにもお金がかかる。であれば、キャリアの前半で金融のスキルやナレッジ、リテラシーを身につけようと考えたんです。加えて、都市計画についても大学院で学びたかったのですが、ずっと私学で親に負担をかけていたので、大学院は自腹で通おうと決めて。世の中の仕組みを理解しつつお金を貯める期間として、3年間のつもりで働き始めました。

ところがここで、2人目のロールモデルになる人に出会えたんです。17歳上の上司で、出来の悪い自分が提案資料をつくるときは完成するまで辛抱強く付き合ってくれる。能力が高いのはもちろん、人間としての魅力がすごくて、お客様に好かれる誠実さも愛くるしさも兼ね備えていらっしゃるんです。専門的なスキルと同時に、人と向き合うソフトでのスキルを持っているからこそプロフェッショナルなのだと学ばせてもらいました」

在職中はスキマ時間をすべて英語の勉強に充てた。こうして2016年、歴史があり評価も高いハーバード大学デザイン大学院の都市計画学科に26歳で留学。理論と実践を行き来するカリキュラムで学びを深めていった。

「実践を重んじるカリキュラムで、たとえばPPD(Public-Private Development:公民連携開発)のプログラムでは、1組6人ほどのグループで、それぞれが不動産ファイナンス、建築デザイン、都市デザインにおけるプロとしての役割を担いました。単体の建築物ではなく街区全体で見たときの景観、収益性やデザインの価値を問われるロールプレイ形式の授業で、優秀作はボストン市の計画に取り入れられる可能性もあるなど、非常に実践的なものでした。

教育内容だけでなく、一緒に学んだ学生たちも刺激的でした。母国のコロンビアを何とかしたいと思って進学してきたスラム街の出身者や、アフガニスタンに従軍し、足に銃弾を受けて帰国した後、家族初の大学進学者となったメキシコからの移民2世など、世界中からさまざまな人が集まっていました。個人の成功にとどまらず、公共や社会のあり方に目を向ける仲間に恵まれ、ここでまた一段、視座が高まりました」

ハーバード大学デザイン大学院留学時。エストニア共和国の首都タリンにライトレールを敷設する計画提案を建築学科の学生と共に行った

仲間たちとの交流のきっかけとなったのが、学生寮での生活だった。日々の生活で多様な価値観にふれられる経験は、プランニングやデザインの大切さを実感することにもつながったという。

「アメリカやイギリスの多くの学生寮って、1階がカフェや食堂になっていて、そこを通らないと自分の居室に行けないんです。専攻も違う学生たちが交流できるきっかけを、意識的に設計に取り入れているわけです。大学時代に留学した、多彩な人種が暮らすスコットランドの寮生活でも『自分が何者か』を認識する機会が多くありましたが、寮生活から得た学びは非常に大きく、意図された偶発を引き起こすための計画こそがすべてなんだと実感しました」

アプローチがトップダウンからボトムアップへ

2年間の課程を修了すると、ボストンにある都市デザイン事務所へ。そこで大学のキャンパスプランニングなどを手がける一方で、グローバルなプロジェクトにも名乗りを上げた。

「土木エンジニアも建築士もランドスケープデザイナーもいるなど、一人ひとりのプロとしての立ち位置を重視する会社で、都市計画者・プランナーとしての役割を担っていました。当時300人いたなかで日本人は自分一人だったのですが、大手の会社でしかできない仕事に携わりたいと、世界銀行が支援するアフガニスタンの国土計画を策定するプロジェクトに参加させてもらって。10名ほどのチームで2年間かけて積み上げた先に待っていたのが、タリバンの政権奪回による首都陥落でした。結果として、進めていた国土計画のプロジェクトは白紙に戻らざるを得なかったんです。いくら綺麗な絵を描いても、実現できなければ元も子もない。それ以後は、絵に描いた餅で終らせない方法を考え始め、アプローチのスタイルをトップダウンからボトムアップへと切り替えていきました」

ボストンの都市デザイン事務所での勤務時代、キャンパスプランニングを手がけている様子

アメリカ滞在中には、ハーバード大学で出会った日本人メンバーと、自身らの経験が生かせる学生寮ビジネスの計画も進めていた。帰国すると、そのアイデアを実現するべくU Share株式会社を共同で創業。国際学生寮ブランドU Shareの事業組成や開発を担当したが、2023年9月、退任することとなる。

「ちょうど第一子が生まれたタイミングだったんですが、事業を進める上での方向性の違いがあって……。チーム組成や共同創業の難しさも痛感し、勉強になりました。その後、都市、不動産に関わる業界での就職を考えました。ただ、とりわけ都市部では、人口減少下にも関わらず金太郎飴的なマンションや複合施設の過剰供給が続いていたし、小規模、中規模事業者がどこかないがしろにされてしまう開発の在り方にも疑問を抱いていたんです。それで、これから先もずっと意欲をもって働き続けていくためにも、大手への就職は一旦見送り、もう一度独立起業しようと心に決めました。不安が無かったと言えば嘘になります。ただ、常に公共のことを考えているような人間なので、自分の想いに誠実に、そして自分のした意思決定・選択をベストにしていこうと」

自分が対峙しているのは、“人と場”の関係性

「“人と場”の関係性を育み、その好循環をつくりたい」。自身の志を突き詰めた結果、2023年12月に創業したのが、ヒトトバデザイン株式会社だった。

「自分が対峙していきたいのは、“人と場”の関係性なのだと気づいたんです。たとえば、金融だけできる人、デザインだけできる人、経営だけできる人はいる。でも、すべてを理解したうえで、場づくりに向き合える人や組織ってそうないんですよね。これらを掛け算したときに一気に自身のマーケット価値が高まると考え、自分をそこにポジショニングして仕事していこうと。今のところ仕事は全部口コミやご紹介によるものです。自分や組織が持つスキルセットをおもしろいと思ってくださる方や、旧来とは違った分野横断での課題解決方法を求めていらっしゃるような方とご一緒させていただいています」

ヒトトバデザインは、「場に、あらたな一章を。」をテーマに、新たな交流の場や社会変革のきっかけを生み出すことをめざしている。これまでにも沖縄県の製糖工場建て替えに係る基本構想立案や、山形県蔵王温泉での空き家再生を通じたまちづくりといった事業を手がけてきた。

「沖縄に現存している製糖工場は一つしかなく、砂糖のほとんどはタイや中国からの輸入に頼っています。そんななか、製糖工場の設備を単にアップデートするだけでは、事業の効果は限定的です。地域内外双方にとって意味があり、かつ大きな価値を生み出すためにも、地域のアイデンティティーを育み誇りとなるようなきっかけであり、観光で来る人も何かを学べる、そんな『場』にしようと。行政や関係企業ともやり取りをしながら基本構想を練り上げていきました。

蔵王温泉では、地場で長きに渡って旅館業を営む大学時代からの友人と共にまちづくりを行う合弁会社を設立しました。空き家を購入したり借り上げたりしたうえで改修し、直営の温泉饅頭屋の開業や、テナントの誘致などを行っています」

蔵王温泉での事業はまだ開始から1年ほどだが、すでに運営・管理拠点は4箇所となった。「地域が大切に育んできた営みに敬意を払いながら、その歴史と文化のミルフィーユの上に新たな一層を丁寧に積み上げるようなイメージでまちづくりに取り組んでいる」と井上さん。地場での雇用や関係人口も少しずつ増えているという。

「スキー場が隣接する蔵王温泉は、冬には100万人もの観光客が訪れるリゾート地ですが、グリーンシーズンは夜になると、まちに灯りがほとんどありません。地方はどこも似たような問題を抱えていて、少子高齢化、事業環境の変化などによる事業承継の難しさなどから、店舗や宿泊施設の休廃業が深刻な課題になっています。国や県、市に政策面で動いてもらうためにも、まずは民間としてリスクをとって動いて成功事例をつくる。今度はその成功事例を交渉材料にして、実現度の高い政策検討・立案を官民協働で模索していけるようにしたいなと考えています。尊敬する武士であり思想家の一人に吉田松陰がいるのですが、まさに草莽崛起(そうもうくっき)という感じですかね」

「あの人たちが来て、まちが少し元気になったね」と、その地域の方々から言ってもらえる一つのきっかけをつくりたい。「“現代版花さかじいさん”みたいになれれば」と思いつつ、井上さんらは取り組みを進めているという。

蔵王温泉では空き家の再生と面的なまちづくりに尽力。こちらは改修中の1号目物件

常に“自分ではない誰か”のことを考える

井上さんは、学生寮を企画・運営していた経験も活かし、関西学院大学の国際教育寮に対する改善活動のサポートにも取り組んでいる。寮内での教育を通じて、日本の学生には外に目を向けるきっかけを、海外からの学生にはより過ごしやすい環境を提供できる場のあり方や運営の仕方を大学とともに検討している。

「関西学院で過ごした日々が、今の自分の原体験になっていて、いい“人と場”に育てられてきたという感覚があります。だからこそ、そういう環境づくりに自分も貢献していきたいんです。中学高校と“世のため、人のために”と言われ育ってきた思いは、ずっとどこかにあるんでしょうね」

「ラグビーも、チームが勝つために自分を呈するスポーツです。チームとしてトライを取るために、自ら体を張ってタックルやボールキャリーをする。そういった自己犠牲の精神が染みついた学生生活を過ごしていたのが、公共的な視座を持つきっかけになっているんだと思います」と井上さんは語る

自分にとって真に豊かな人生とは、「自分が関わる人、まち、社会、場に対し、誠実であり続けること」だと井上さん。その根底には、“Mastery for Service”のマインドが無意識に流れているように感じるという。

「“Mastery for Service”って、相手を思うやわらかさだったり、『自分だけじゃない』と気づかせてくれる感覚だったり、そういった日常的でカジュアルなものだと思うんです。僕の分野でいうと、都市計画・デザインは一つの場や建築ではなく、まちや社会といった全体を考える面的視座、鳥の視座が必要になります。常に『自分ではない誰か』のことを考えていなければいけない。そういった誰か=全体に奉仕するために、『個』としてさまざまなスキルやナレッジを身につけ、ネットワークを広げていくという練達に終わりはありません。“奉仕のための練達”が今の自分の根幹をなしているように感じます」