Interview





スポーツトレーナー

植松 弘樹さん

関西学院大学社会学部 2018年3月卒業

阪神タイガース所属の近本光司選手のプライベートコーチ。卒業後は大学職員を経て、2022年にアカデミー型スポーツ・トレーニング施設「MTX ACADEMY」にプロトレーナーとして勤務。2025年に独立。学生時代、仲間のために学び続けた経験から、「誰かの挑戦や“できた!”に寄り添い、背中を押せる存在でありたい」とトレーナーの道へ。プロ野球選手だけでなく、子どもから高齢者まで一人ひとりの成長や挑戦を本気で応援し、共に歩むことを大切にしている。

  • 30代
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「考える野球」に導かれた高校時代

香川県・小豆島出身の植松さんは、子どもの頃は、臆病なほうだったという。小学校4年生まで怖くて顔を水につけられず、水泳が苦手だった。そんな性格が変わったのは、野球がきっかけ。1年生から少年野球チームにいたが、5年生頃から身体が成長しはじめ、バッティングでもボールが飛ぶように。そのことで人に褒められることが増えたからか、水泳でも、あんなに苦手だった顔つけが突然できるようになり、それどころかバタフライで県大会入賞するまでになった。

「自分に自信がつき、興味のあることをどんどんやるようになったんです。水泳でも、どうしたら速く泳げるかとか、みんなに勝てるかを考え、やってみたら結果が出ました」

中学では野球部に入り、島内の高校に進んでさらに野球を続けた。部員は十数人で、県大会では1回戦を突破しただけで地元全体が湧く、そんなチームだった。植松さんはここで、それ以降の人生に大きな影響を与える人に出会った。それが野球部の杉吉勇輝監督が招いてくれた、東京を拠点に第一線で活躍するトレーナー・木村匡宏さんである。

木村さんは、骨格や筋肉、関節など人体の構造を解剖学的な視点からわかりやすく教えてくれた。さらには、バッティングやピッチングなどのフォーム、筋力を高めケガを予防するためのトレーニング法、メンタルのコンディションを維持する方法……。運動生理学など科学的な理論に基づいてパフォーマンスを上げていく方法論に、植松さんは興味を抱いた。木村さんに「人の身体はそれぞれ違い、正しい身体の使い方も違う。自分の設計図を知ることが大切」と聞かされ、運動時の自分のクセを研究することに夢中になった。

科学的な知見に基づいた身体の使い方を知り、「どんな相手にも勝てる可能性がある」と学んだ高校時代

キャッチャーだった植松さんは、相手打者の思考や相手チームの動きを読むのが仕事。理論を積み上げれば打者のクセも読めるはず、と、選手の動きや気づきをノートにメモするようになった。分析・観察・データ収集の習慣ができ、野球ノートが何冊も積みあがっていった。

「監督がいつも言っていたのが、『きみたちは普通にやったら負ける。型をなぞるのではなく、どうすべきか、ちゃんと考えてやれ』ということでした。といっても、野球とはどういうものか、何ができるのかを知らないで、いきなり考えることはできません。監督は、木村さんをはじめとする専門家の手も借りながら、試合の流れに沿った打ち方、守り方、投げ方のいろんな手法を見せてくれ、考えるための材料を用意してくれた。『考える野球』ができるよう、僕たちはうまく導かれていたんです」

自分たちで勝つための戦略を考え、そのために必要なトレーニングだと納得して練習する日々。次第に、練習試合などでも勝てるようになっていった。高校2年の春、植松さんたちのチームは、創部以来初めてとなる県大会での優勝を果たす。「卒業後の話になるんですが、3年下の後輩たちは、秋の県大会を制覇し甲子園出場したんですよ。1回戦を勝てば湧いていたような野球部が、体制が変わって、県大会優勝、甲子園出場ってマンガみたいですよね」

野球への興味や好奇心を刺激して、レベルの高いところへ引き上げていく指導者やトレーナーの存在は、植松さんに強烈な印象を残した。

未来のプロ野球選手との出会い

高校卒業後、進学先に関西学院大学を選んだのは、弓道をやっていた姉が関学に進学しており、「一番身近な大学だった」から。入学後は硬式野球部に入部した。

最初の練習に参加した時に驚いたのは、160人にも及ぶ部員数の多さだった。ウォーミングアップで行うランニングは、先頭の掛け声が遅れて聞こえてくるほどの長さ。甲子園常連の強豪校出身者も多く、どんな練習をしてきたのか、話を聞くのが楽しく、勉強になったという。

当時の関学野球部は、前年、前々年に関西学生野球連盟リーグを優勝し、常勝チームをめざす真っ只中だった。「高校時代とはまったく違う次元で野球をやるんだという確信が、日を追うごとに高まっていきました」

植松さんは大学でもキャッチャーを務めたが、高校時代から抱えていた足のケガの再発に悩まされた。ケガをした部員は、グラウンド外でリハビリやトレーニングに取り組むのだが、そんなある日、たまたま隣でトレーニングをしていた1年上の先輩から声をかけられた。関学卒業後、大阪ガスを経て2019年に阪神タイガースに入団し、以降、走攻守に優れた実力を発揮する近本光司選手である。

「当時ピッチャーだった近本さんは肩を傷めていました。聞かれるままに、これまでに肩や肘を故障した経験を話していたら、『治し方を教えてくれないか』と。『まず、病院行ってください』と答えつつ(笑)、知っていることを伝えました。近本さんはアドバイスを受け入れてくれ、3カ月後くらいには戦線に復帰したんです。僕はなかなか、復帰できなかったんですけど…」

アドバイスは決して特別なことではなく、「セオリー通り」だったと植松さんは振り返る。自分がケガをしたときに整形外科の先生や理学療法士から教えてもらったことを、逐一ノートに書きとめていたのが役立った。その年の秋、近本さんが外野手に転向。植松さんは近本さんに頼まれて、守備やバッティング、ケガ再発防止のためのトレーニングメニューを提案するようになった。独学で解剖学的な知識を深め、高校時代の練習記録ノートも参考にした。

関学野球部時代の植松さんと近本さん。練習メニューの意図や目的を、近本さんにきちんと説明するのは当時も今も変わらない。「近本さんは納得すると集中して取り組んでくれる。トレーナーとしてはやりやすいです」

ただ、植松さんは、自身がこれまで学んだトレーニングメニューを提案するというだけでは気が済まなかった。高校時代に木村さんが教えてくれた「最適なトレーニング法は人によって違う」という意識があった。自分が組んだメニューを近本さんが実践する様子を観察しては、データを収集して分析を重ねていった。

「レントゲンとかエコーで調べたわけではないですが、触った感じとか練習の動きを観察して骨や筋肉の長さを推測し、近本さんの特徴を掴みながら、メニューを組み立てていました。もし、違うなとわかったら、すぐにメニューを変えたり」

近本さんも決められたメニューをこなすより、自分の体に合う方法を探すのが好きなタイプ。動きの感覚をお互いに持ち寄って、トレーニング法の改善を進めた。セオリーを超えた、近本さんのためのトレーニングメニューの開発である。その練習は一風変わったものも多く、周囲から「また、あの二人、何か始めとる……」と半ば呆れた視線を向けられることもあったという。

たとえば、当時はまだ珍しかった加圧トレーニングもその一つ。血流を制限した状態でトレーニングすることで成長ホルモンの分泌を促進し、低い負荷で筋力や瞬発力を効果的に鍛えられることが科学的に証明された方法である。「手足の付け根を縛って、ダッシュの練習を10分間とか。腕とか紫色になってきたりするので、知らない人が見ると結構怖い(笑)。近本さんも最初は、『ほんまに大丈夫なんか…?』という感じでしたが、なぜこの練習に効果があるのかを理論や科学的なデータを用いて説明すると、『よし、やろう』と」

やると決めたらとことんやる近本さんと、専門的な知識に加え観察や分析によってカスタマイズしたトレーニング法を追い求める植松さん。2人は全体練習の後、他に誰もいないグラウンドで個人練習を続けた。近本さんはいつの頃からか植松さんのことを「師匠」と呼ぶように。信頼関係は深まり、パフォーマンスに影響する食事や睡眠などの管理も担うようになった。

そのうち近本さんはメキメキと頭角を現す。俊足を生かし代走として試合に出始めたが、打席が回ってくるとホームランを打った。あっという間にレギュラーとして活躍するようになり、翌年の関西学生野球連盟春季リーグ戦では、外野手としてベストナイン賞にも選ばれた。

トレーナーの可能性を感じ学生コーチに転身

そんな最中、2年生の夏、植松さんは重要な選択をする。学年で1人、学生コーチを出さなければならないことになり、選手から学生コーチへの転身を決めたのだ。

「ケガで戦線を離脱していても目標はずっと復帰に置いていたし、選手でなくなることへの葛藤はもちろんありました。その一方で、自分が考えたメニューを、高い身体能力を持ち考える野球をする人に実践してもらうことで、すごい効果が生まれることに手応えを感じていました。とくに近本さんが活躍している状況で学生コーチができることは、大きな魅力でした」

もう一つ、植松さんの心にあったのは、高校までの野球トレーニングにおいて、気合と根性ばかりが重視される風潮への疑問だった。

「強豪校出身者に練習の話を聞くと、気合と根性が基本という印象でした。反復練習に力を入れるため練習量が多すぎて、自分を守るために手を抜くことを覚える人もいます。関学も含め大学の練習は基本的に自由なので、手を抜くクセが抜けなくて練習不足になり実力を落とすケースもありました。僕としては、気合と根性でずっとやってきた人たちに理論を伝えたら、いろいろと変わるんじゃないのかなと感じていて。コーチ、トレーナーという仕事に、どんどん興味が出てきていました」

学生コーチ就任とともに、チーム全体のトレーニングメニューを決め、チームメイト全員に個別トレーニング提案も行うように。監督やコーチの意見やアドバイスを、選手たちにより届く形で伝えるのも大事な役割で、トレーニングを通じて全体をまとめていくことが求められた。

「学生コーチになってからは、それまで以上にチームメイトの動きを観察、分析し、あらゆることをノートにまとめました。選手一人ひとり、野球との向き合い方やモチベーションが違うので、全体をまとめるって難しいなといつも感じていました。それぞれに伝わる言葉は何なのか必死で探しましたが、最後まで正解と思えるものが見つからないことも多くて。ただ、学生が運営する『関学スポーツ』のインタビューでいろんな選手が『学生コーチとの練習でうまくいった』とコメントしてくれていて、『あのアプローチでよかったんだ』と少しほっとしました」

「大学時代に受講した心理学の授業が印象に残っている」と話す植松さん。人と人とがどう信頼関係を深めていくかを学び、今も役に立っているとか

トレーナーとして専門知識を高めながら、それぞれの選手、チーム全体の状態を把握し、少しでも良い方向へと持っていくよう努力した。授業でもトレーナーのスキルアップに役立つと、社会学部では必修ではなかった心理学系科目も履修するなど、まさに野球一色の大学生活だった。植松さんの学生コーチ時代、関学はリーグ4位をキープ。特に個人成績では、首位打者やベストナイン賞受賞者が出るなど、成果をあげた。

大学職員のかたわらボランティアでトレーナーを継続

卒業後は教育に携わる仕事に就きたいと考え、母校である関西学院に入職した。「大学職員の仕事の内容は多岐にわたり、ボリュームも大きく、学生の時に見ていた大学職員のイメージとは大違いでした(笑)。ただ、職場にはサポートし合う環境があり、いろいろと助けてもらいながら成長できたと思います。何より、学生の成長に直接関わることができる喜びは他に代えがたいものだったし、その責任の大きさが励みにもなり、仕事の面白みややりがいを感じるようになりました」

近本さんのトレーナー役は、1年先輩の近本さんが卒業するとともに一旦終了していたが、近本さんが社会人野球の2年目に入った年、たまたま話をする機会があり、徐々に関係性が復活、相談に乗るようになっていた。その後、近本さんは阪神タイガースからドラフト1位指名を受け、2019年度に入団が決定。そのタイミングで、「プライベートトレーナーをやってほしい」と頼まれた。

プロ野球選手のトレーナーともなれば、その進路や人生にも影響を与えることになる。大学職員の仕事は忙しく、トレーナーの勉強をする時間はなかなか取れない。自分がアップデートできない中で、そんな責任ある仕事に関わっていいのか。葛藤の中で、今まで通り「助言はするが報酬はもらわない。実践するかしないかは近本さん自身が決める」という形を選択。「大学職員とプロ野球選手のプライベートトレーナー」という二足のわらじを履くことになった。

近本選手のプライベートトレーナーとして、さまざまなサポートを行っている

ボランティアとはいえ、求められる役割はだんだん大きくなった。データ分析やミーティング用の資料準備にもそれなりに時間がかかる。平日は仕事の後、甲子園球場に飛んでいき、観戦後、夜11時ぐらいから1時間ミーティング。2つの仕事に追われ、どちらかを選ばないと自分がつぶれそうになった。植松さんは悩んだ末にトレーナーを本職にすることを決断し、4年間務めた関学を退職した。

「本当は、辞めたくはありませんでした。でも、近本さんがプロ野球選手になったことは運命的だと感じていて、トレーナーという仕事に全力を尽くしてみたいという気持ちが強かったんです。周囲からは、だいぶん反対されましたけど(笑)」

トレーナーとしてさらに勉強を重ね経験を広げる

近本さんのプライベートトレーナーとして正式に活動を開始し、オフシーズンの自主トレやシーズン中全般のサポートを努めることになった。同時に、尊敬する恩師、木村さんのもとでプロのトレーナーとしての勉強と実務経験を積もうと、彼が統括ディレクターを務める東京のパーソナルトレーニングジム・MTXアカデミーに入社した。

MTXアカデミーは、プロアスリートからキッズ、お年寄りまで幅広い人を対象に、自分の身体との向き合い方を指導する施設だ。個別のスポーツスキル向上、成長や発達、健康づくりや維持など、多様な悩みや課題に対して適切な身体の使い方を提案し、調整やトレーニング、メンタル面までトータルにサポートしている。植松さんも入社以来現在まで、さまざまなスポーツに携わる人、悩みを抱えた人の要望に応えてきた。

野球の指導が多いが、ときにはまったく知らないスポーツの相談もある。ダーツ選手のトレーニングにも付き合った。「知識がないから、とことん聞ける。白紙で相手の悩みに向き合える」と植松さん

「たとえば『インコースが打てない』という悩みなら、その人の考えるインコースはどこか、みたいなところから理解して、一緒に解決策を見出していきます。プレーを上達させるというより、自分の身体の使い方を頭の中で整理するお手伝いですね。念頭においているのは、来た時よりも明るい気持ちで帰ってもらうこと。できなかったことができるようになったり、人に変化をもたらすことができるのが、仕事の喜びですね」

トレーナーの仕事をするうえで、「Mastery for Service」という言葉にいつも支えられてきたと植松さんは言う。

「『奉仕のための練達』って、トレーナーのような裏方の仕事にとってすごく大事だと思うんです。相手に成果をあげて、満足してもらうために、自分自身が常に進化していないといけない。そういう覚悟が詰まったこの言葉のおかげで、ここまでやってこられた気がします」

子どもたち一人ひとりをサポートする夢に向かって

プロのトレーナーとして4年、植松さんはまた新たな挑戦を始めようとしている。本業を通した社会貢献活動にも力を入れていきたいと、フリーランスになって活動範囲を広げる決断をした。

「離島や過疎地の子どもたちは、興味のあることに出会うチャンスが少なかったり、その場に行くまでにお金や時間がかかったりしがちです。そこで、スポーツなどいろんな経験ができる機会を設け、知識や知的好奇心、向上心といったポジティブなエネルギーを持ってもらうような活動をしたいと考えています」

トレーナーとして多くの子どもたちを指導しながら、大学の研究チームに加わって身体運動と発達との関係について解き明かすプロジェクトも計画しており、その成果を社会に役立てることもめざしている。

植松さんは小豆島、近本さんは淡路島出身。お互い島育ちで、「子どもたちに豊かな体験を提供したい」という気持ちは共通しており、社会貢献活動の面でも協力し合う関係

「一人ひとりに合ったトレーニングやサポートは、これからますます必要とされる領域です。学術的なエビデンスに基づいたものであることと同時に、エンジョイできることも大切な要素。子どもたちがそういう経験ができる場を、たくさんつくっていきたいんです。それにはトレーナーとしてもっとレベルアップしていく必要があるので、ちょっと自分に負荷をかけてがんばりたいなと」

夢の実現のために不安定なフリーランスをあえて選ぶことに、不安がないわけではない。

「ただ、不安だからやめておくというよりは、自分の選択を正解にするよう行動するほうが大事だと思うんです。近本さんとの関係も、関学職員をやめたことも、いつもちゃんと考えて自分で決めました。そう決断した自分に対して誇れる自分でいようとこれまでやってきたし、これからもそうありたいですね」

植松さんは、いろんな人の働きかけによって自ら学び進化し、可能性を広げてきた自分の経験から、子どもたちが自ら成長できるような働きかけについて関心を持ってきた。

「子どもの指導をしていると、競技の指導をしただけなのに『生活態度が変わった』『勉強するようになって、得意な教科ができた』といった変化を耳にすることがあります。身体を動かす原理を知ってできることが増えたり、プレーする考え方を学ぶことが、想像以上の気づきや自信につながることもあります。一人ひとりの気持ちや生活に向き合うようなサポートによって、子どもたちの可能性を伸ばしていけたらと思っています」

アスリートのために、無限の可能性を持った子どもたちのために。植松さんの自分を磨く挑戦は、どこまでも終わらない。