Mastery for Service 解説
関西学院のスクールモットー“Mastery for Service”は、「奉仕のための練達」と訳され、隣人・社会・世界に仕えるため、自らを鍛えるという関学人のあり方を示しています。
“マスタリー・フォア・サービス”は今日、関西学院全体のスクールモットーであるとみとめられています。1912年、初代高等学部長となったC.J.L.ベーツに提唱されて以来、校歌「空の翼」に唱われ時計台のエンブレムに刻まれて、関西学院のキリスト教主義教育をみちびく指針として時代をこえて受け継がれてきました。
マスタリーとは練達、サービスとは奉仕であって、「奉仕のための練達」と翻訳されます。勉学にはげみ知識・技能をよく修め(マスター)、みずからに与えられた才能を存分に発揮して人格の完成に努めます。しかしそれは、隣人・社会・世界のために奉仕し人類の福祉に貢献すること(サービス)を究極の目的とするのです。この言葉には英語で、マスター(主人)とサーバント(召使い)という意味深い対照があります。仕えるために「支配するもの、主人」となること、「召使い、僕」となるために知識・技能の主人、自分自身の主人となることが求められます。それは「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」(マタイによる福音書20章26〜27節)というイエスの逆説にみちた言葉に示された精神と同じものです。
そこで真に仕える者は、常識にも何ごとにも縛られない自由の人、自分自身にもとらわれない自主の人にならなければなりません。関西学院のさらに歴史の古いモットー「真理将使爾自主(真理はあなたたちを自由にする)」が語るように、聖書に示された真理を探求することによって「真に仕える実力をそなえた自由人」になりえるとの理解がここにあります。そのような人間形成こそが「輝く自由、Mastery for Service」と唱う関西学院が求めつづけるものなのです。
「真理将使爾自主(真理は汝らをして自主たらしめる)」(ヨハネによる福音書8章32節)
関西学院発祥の地、原田の森にたつ神学館の正面玄関の上には、この聖書の言葉を刻んだ額面が掲げられていました。この言葉は神学部のモットーであっただけでなく、学院全体のモットーでもありました。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(マタイによる福音書16章26節)の聖書の言葉に通ずる学院の人格教育の伝統がこのモットーに示されています。ベーツは、この言葉に語られた自主(自由)こそが「マスタリー・フォア・サービス」を体現する人格の基礎となることを強調しています。